兄弟

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 梅干しを加えたことで、夏らしい炊き込みご飯に仕上がった。最後に大葉を散らし、 「栽培漁業科で養殖した鯖を使った炊き込みご飯弁当、かんせーい!」  安形智史が言うと、調理室は安堵の声に包まれた。 「俺、断然こっちの方が好きっ!」 「定番化されるんじゃね。これは完全にバターきのこスパを超えたわ」 「比較対象おかしいだろ」 「焼き鮭おにぎり超えッ!」 「ははっ、おにぎりと比べんな」 「おまっ、コンビニのおにぎりをバカにすんじゃねえぞ」  弁当の完成を祝って、調理メンバー六人でファミレスへ行くことになった。連日鯖ばかり食べてきたから、反動で甘いものが食べたくなる。テーブルに着くなり、智史はデザートメニューを手に取った。他の五人もフードメニューには目もくれず、期間限定スイーツに夢中だ。  パフェとケーキ、炭酸ジュースの並んだテーブルで撮影会をし、六人は和やかに甘味を楽しんだ。智史はチョコバナナパフェだ。砕いたプリンが入っていて嬉しい。 「おいおい、カッパが人間のモン食ってんぜ」  嘲笑う声。一瞬手が止まったが、相手にしない意思表示で、智史は顔を上げずにスプーンを動かした。他の五人も俯いたまま、黙々とデザートを口へ放り込む。 「お前ら臭えんだよ。スメルハラスメントやめてくれや」 「俺らメシ食いに来てんのに食欲失せるじゃん」 「うるさいな」  我慢できず、智史はスプーンを置き、唸るように言った。顔を上げ、学ラン集団を睨みつける。財布を取った、あの黒髪の不良がいないことを確認し、啖呵を切った。 「知ってる制服だからって絡んでくるなよ。俺らお前らのこと知らないし、お前らだってそうだろ。つか制服に釣られて寄ってくるとか、お前らって魚みたいだな。俺らのことカッパカッパって言うけど、俺からしたらお前らの方がよっぽど未知の生物だね。相手との距離感間違えす」  ゴツン、と頭に衝撃が落ちた。「智史!」と仲間が声を荒げる。 「うぜえ。調子乗んなよ」  すぐ暴力に頼る。しょうもない連中。 「つかなにこのテーブル。カッパって甘党? きめえ」 「俺も思った。甘党男子ってやつ? しょんべん臭そう」  構ってられるか。智史は再びスプーンを動かした。ブッ、と唾を吐き捨てられる。睨み上げると、吸い寄せられるように黒髪の不良に目がいった。絡んできた学生が動揺しているから、彼らの仲間というわけではなさそうだ。 「俺、これ食いに来たんだけど」  黒髪は小さく顎をしゃくり、智史のチョコバナナパフェを指した。  赤工の学生らは「やっちまった」という顔で目配せし合う。 「そんなこと聞いたら頼めねえな」 「あ、やっ……知覧さんはお好きなものを……」  知覧と言うのか。明るい店内で改めて彼を見る。小ぶりな鼻、愛らしくも見える、膨らみのある形のいい唇……中性的なパーツなのに決して女に見えないのは、切れ長の鋭い目だろうか。やけに雰囲気のある男だ。  知覧は肩で学生を押し退け、通路を進んだ。知覧の連れは三人。絡んできた学生よりも皆大柄で強面だ。下校中に自分を襲ってきた連中だろう。そのうちの一人がテーブルの前で止まり、勝手に呼び出しボタンを押した。 「チョコバナナパフェ四つな。届いたら俺らのテーブル持ってこい」   理不尽なことを言ってくる。目をつけられたくないのだろう、誰も反論しない。できるとすれば自分だが、智史は「わかった」と頷いた。そうしてようやくテーブルに平穏が戻った。  仲間が一斉に財布を確認しだしたので、「俺が払うよ」と智史は言ったが、皆はとんでもないと被りを振り、結局割り勘することとなった。 「ごめん、勝手に答えちゃって」 「気にすんなよ。俺らだってなんも言えなかったし」 「それにあの人たち、機械科の三年だろ。赤工でも特にガラが悪いって聞くぜ」 「あの人来て空気変わったもんな。『俺、これ食いに来たんだけど』って、こえええ」 「あれって俺らのフォローだよな」  智史が言うと、皆はギョッと目を丸くした。予想外の反応に戸惑う。 「解釈、斜め上すぎ!」 「え、違うの?」  そうとしか思えなかったのだが。 「絶対違うって!」  ウンウン、と皆が頷く。それでも智史は解釈を改めようとは思わなかった。  届いたパフェを運ぶ係は、当然智史が買って出た。窓際のボックス席へ、ドキドキしながら持っていく。 「サンキューな」  呼び出しボタンを押した男が言った。その隣、知覧が射るような目つきで睨んでくる。何か言いたげだが、その口は硬く結ばれたまま、開くことはなかった。  引き返す智史の足は重かった。自分は何を期待していたのだろう。知覧と喋りたかったのか? 不良なんて嫌いなのに。  テーブルに戻る気になれなくて、トイレに入った。みんなに申し訳なかった。自分は、反論しようと思えばできたのだ。それをしなかったのは、何かを期待していたからだと気づいてしまった。きっかけが欲しかったのだ。でもみんなは違う。やっぱり彼らの分は自分が払おうと思い直して、個室を出る。 「わっ」  洗面台に知覧がもたれていて、思わず声が出た。こちらには目もくれず、スマホをいじりながら、「スマホ、持ってるか?」と聞いてくる。 「えっ……」  テーブルに置いてきてしまった。 「ないなら良い」  洗面台から身を離し、行こうとした彼の腕を反射的に掴んだ。このチャンスを逃すものか。らしくない自分の大胆さに戸惑ったが、興奮した。 「なに……お前」  端正な知覧の顔がほのかに赤い。欲しい、と本能的に思った。掴む手に力が入る。知覧は拒絶しない。目を合わせようとしない姿に庇護欲すら湧いてくる。なんだこれ。心臓が、男相手には不自然な鼓動を立て始めている。 「金、どうして全部抜かなかったんですか?」 「はっ、抜いたほうが良かったか?」  今、無理して笑った。腕に鳥肌が立っている。彼は何をそんなに緊張しているのだろう。 「優しいんですね」 「……離せよ」 「連絡先教えてくれたら離してやるよ」  まつ毛がひくりと震えた。ぐっと距離を詰めると瞳が泳いだ。クセのない彼の髪から覚えのある香りがして、誘われるように手を伸ばすと、「調子乗んなっ」と弾かれた。仲間がいた時とはまるで違う、小物のような威嚇だった。 「俺たちに奢らせて、悪いと思ってるんでしょう。だからここで、俺のこと待ってたんじゃないんですか」  言うたびに体温が上がっていくような気がした。 「……電話番号言うから、ライン追加して」  キュッと心臓が締め付けられた。よからぬ感情が芽生えつつあることを自覚する。  知覧は掴まれた腕を見下ろしながら、十一桁の数字を言った。智史は脳内に叩き込む。 「覚えた。あとで追加しますね」  力を緩めると、知覧は逃げるように去っていった。  「やば」  シャツ越しに胸を触る。どうしたものか。完全に心拍数が恋に落ちた時のそれだ。
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