兄弟

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 首元の詰まったノースリーブニット。腰のラインがくっきりと出るマーメイドスカート。靴はヒール付きのパンプスだ。 「なんの罰ゲームですか」  落合達也は鏡の中で忙しなく動く兄に言った。兄は最後の仕上げとして、達也の頭に金髪と黒髪のウィッグを交互に当てている。 「ター坊は清楚系だな。こっちにしようぜ」 「にいちゃん、俺やだよ」 「なにぬかしてんだ。お前、めちゃくちゃかわいーぜ。俺だったらホットかないね、こんな美少女」 「……どこがだよ」  否定してみるが、達也はその気になりつつあった。何度も可愛いと連呼されると、本当にそうかもしれないと思えてくる。バサっと、黒髪ロングのウィッグを装着される。 「でも、話しかけられたらどうすりゃ良いんだよ。声で男だってバレるんじゃねえの」 「小学生から喫煙してハスキーボイスってことにしとけ」 「清楚じゃねえじゃん」 「じゃあかわいー声の練習だな」  兄は達也の両肩を掴み、鏡越しに笑いかけた。 「きみ、かわいいね? 名前なんて言うの?」 「わたっ」  高い声を絞り出したつもりだが、不自然すぎて断念した。 「にいちゃん、やっぱ無理だって。女のフリして街コンなんて」  兄の先輩が街コンを主催したが、女の参加者が足りないということで、二十人のサクラを集めろとのお達しが出た。場所は電車で一駅の田舎町。廃れた駅前の飲み屋街で行われる。胸元に参加プレートをつけて、加盟店を自由に回るのだ。 「ホテルまで行くわけじゃあるまいし、そんなに深く考えんなって。ぱっと見女に見えりゃあ良いんだから」  両肩を揉みほぐしてくる。 「俺、本当に女に見える?」 「どっからどー見ても女さ。田村ミキちゃん。トリマー専門学校二年生のハタチ。好きな音楽は2パック。行ってみたい場所は釜山。愛読書はカラマーゾフの兄弟」 「気持ち悪い。めちゃくちゃじゃんか」 「いいんだよめちゃくちゃで。好かれたって困るだろ」  兄は旧型のスマホを達也に握らせた。 「まあでも、連絡先はいっぱい集めてくれよ。一件につき五百円やるからな。十人も集めりゃあ五千円だ」 「フツーに金くれよ。女装代」 「服代だけでもソートーな出費なんだぜ。これ全部やるっつってんだ。贅沢言うんじゃねえ」 「別に欲しくねえし」  スマホの中を見る。ラインは田村ミキと登録されている。集めた連絡先を悪用するつもりなのだろう。達也は長いため息をついた。 「ター坊、にいちゃんのために、よろしく頼むぜえ」  兄は背後から達也の頬を両手で挟み、グニグニと揺らした。 *  早速後悔した。電車に乗っている時から、おかしいとは思っていたのだ。チラチラと見てきては、連れとクスクスと笑い合う。達也は自分が浮いていることを周囲の反応で思い知った。途中、耐えきれなくなって兄に帰りたいとラインしたが、一時間は我慢しろ、と却下された。  声を掛けられたらどうしようと悩んでいたのが恥ずかしい。ポツポツとペアができているのに、達也はまだ誰からも声を掛けられていない。 「あのッ」  太い声に振り返ると、肥えた醜い男がいた。四十代くらいだろうか。思わず眉間に皺がよる。 「もしよかったらあッ、の店に入りませんか? あそこ、ちゃ、茶そばが美味しいんです……よっ」  誘われただけなのに、ひどく不愉快な気持ちになった。なんでこんなキモイ奴と。  けれどこのまま路上にいるのも辛い。男が示した先にある店を見る。入り口には洒落たメニューボード。店内は薄暗い。こんなところで晒し者になるくらいなら、この男とあの店の隅っちょにいる方がマシかもしれない。 「いいですよ」  地声で、ぶっきらぼうに言ったが、男は嬉しそうに笑った。歯が黄ばんでいて、剃り残した髭が汚らしい。手を掴まれそうになって、避けるために肩掛けのバッグを両手でぎゅっと握りしめた。店へ足を進めると、ピッタリと側にくっついてきた。首に男の生ぬるい息が吹き掛かる。  カウンター席に並んで座る。男は食べ方も最悪だった。くちゃくちゃと咀嚼音を立てながら、哲学者ぶったことを言ってくる。 「……って、難しいことばっか話しちゃってごめん」  達也はゆるりと被りを振った。相手にするもの面倒だ。黙々と刺身を口へ運ぶ。醤油を足そうとしたら、太い指が醤油差しのてっぺんを止めた。なんだよ、と睨んだら男と目が合った。腫れぼったい目をスッと細めてくる。 「やっとこっち見てくれた」  背筋がぞわりとした。無理、無理。マジでこいつキモい。  男は醤油差しを取ると、「バカだよね」と言いながら、小皿に醤油を足した。 「こういうの舐めて、動画撮って、ネットに上げる奴ら。賠償金二千万とか、人生終わりだよね」  達也は困った感じで首を傾げた。隣の女子グループが、さっきからこちらをチラチラと見ているのだ。だから下手に喋りたくない。とりあえず出された料理を片付けようと、箸を進める。 「きみさ、箸の持ち方ヘンだよね」  男が手を伸ばしてきて、反射的に「やめろっ」と手を引いた。隣の女が「きゃっ」と悲鳴を上げる。達也の手が彼女に当たって、グラスを倒してしまったらしい。 「うわ、最悪」  低い声に、女の子は優しいもの、と思い込んでいる達也は鼻白んだ。 「ちょっとあん」 「お客様」  カウンターキッチンから従業員が出てきた。「お使いください」と女にタオルを手渡し、手際よくテーブル、床を拭き上げる。 「あの……すみません、ほんと」 「別に、このくらい大したことないですよ」  途端に愛想が良くなった。 「知覧くん、ごめんね」  女が、跪く従業員に向かって言う。  知覧?   キャップを被った従業員が立ち上がった。アッ、と驚く達也を冷めた目で一瞥し、知覧は厨房へと戻っていく。女はその背中をうっとりと眺めながら、「ふざけんなよブス」と小声で吐いた。可愛らしい横顔にそぐわない暴言。達也は何が起こったのか分からなかった。自分に向けられた言葉だと気づいた時、猛烈に恥ずかしくなった。俯くと、男が膝に手を乗せてきた。 「そろそろ出ようか」 「うける。不細工同士お似合い」  両方からの言葉に頭の中がチリチリと熱い。知覧の動向を目で追いながら、彼に聞こえない声で、女は続ける。 「そういう格好してるブスって初めて見た。いるんだなあ。自分のこと客観視できない女。つかこの街コン女のレベル低すぎない? どーりで、関係ない私たちが口説かれるわけだわ」  隣の男が立ち上がる。達也も、早くこの場から出たくて席を立った。別にブスと思われたって良いはずのに、つか男だし、こんなこと言われて傷つく理由なんてないのに目頭が熱くなってきた。 「ミキちゃん」  女の頬が色付いた。声の主、知覧が近づいてくる。期待するような女の顔は、知覧が達也の前に止まったことで凍りついた。 「俺がいんのに、なんで街コンなんか参加してんの」  無表情の知覧が言う。赤丸工業高校にはクラス替えがない。知覧は機械科で、達也は電子電気科だ。だから三年間、まともに関わったことはなかった。真正面から、こんなに近くで顔を見たのも初めてだ。みんなが言う通り、本当に綺麗な顔してんだなと感心した。 「知覧くん、知り合いなの?」  隣の女が硬い声で言う。知覧はふいっと視線を太った男へ向けた。 「その子俺の彼女なんで、悪いけど他当たってください」 「彼女? この……子が?」  女の声がひっくり返った。そこでようやく、達也は知覧が自分をフォローしているのだと理解した。知覧と目が合い、咄嗟に目を伏せる。自分の正体がバレるという不安よりも、「ブス」と評価された女装姿を見られたくない、という思いがそうさせた。生まれて初めての容姿いじりに、達也は自分でも混乱するほど傷ついていた。 「もうすぐ終わるから、裏で待ってて」  知覧はそう言うと、もう用はないというふうに背を向け、洗い場へと去っていった。 「彼氏持ちが参加すんなよ」  太った男が吐き捨て、達也が座っていた席に座り直した。酒が入って気が大きくなったのか、「良かったらボクと飲まない?」と隣の女に話しかけている。  達也は店を出た。兄に言われた一時間はとっくに過ぎている。胸元の「ミキ」と書かれた名札を速攻外す。知覧はああ言ったが、あれもフォローのうちだろう。本当に待ってたら迷惑だろうし、だいいち正体がバレたら終わる。……まあ、向こうは俺のことなんて知らないだろうけど。  背後で店のドアが開き、隣の女グループが出てきた。達也は慌てて店の裏手に回った。もう彼女たちとは会いたくない。 「あー、ショックだけどスッキリしたあ」 「ブス専じゃあどうしようもないよね。知覧くんがミキの誘いに乗らないのも納得」 「でもあのブスさあ、知覧くんのバイト先にわざわざ男連れて行くとか性格終わってない?」 「私もそれ思った。知覧くんよりあのデブの方がよっぽどお似合いだったけど」  甲高い女の笑い声に胸がズキズキと抉られるようだった。彼女たちの気配が去っても、達也はその場から動けない。この恥ずかしい姿でこれ以上動き回りたくない。電車など乗れるものか。  ガチャ、と裏口のドアが開いた。パーカーを着た知覧が現れ、達也はぺこりと頭を下げた。 「さっきは、どうもありがとう」  地声で礼を言い、重たい足を動かして知覧から離れる。慣れないヒールが痛い。足音が近づいてきて、隣に知覧が並んだ。 「口直し」  差し出されたのはハッカ飴。サッと受け取り、先を急ぐ。駅の方は人が多くて、自然と反対方向へ向かってしまう。 「勝手に彼氏面してごめんね」  優しい言葉にギョッとし、思わず足が止まった。顔を上げ、声の主を見る。どう見たって知覧……だよな? こいつって優男なんだ。 「助かった……し、嬉しかった」 「迷惑じゃないなら良かった」  やばい。男相手にキュンとしてしまった。サッと目を伏せる。コンバースなんて今まで眼中になかったのに、知覧がはいているとかっこいいかも……とか思ってしまう。 「送ってく」  さらっと言ってくれるぜ。 「いや、いいです。お、わたしん家、すぐ近くだから。ほんと、さっきはありがとう。マジでちょう助かった。今度ジュースでも奢るわ」  ふふっと笑われた。 「そう、じゃあまた」  知覧は微笑み、背を向けた。遠ざかっていく背中を目に焼き付ける。黒色のキャップ、黒色のパーカー、細身のデニム、緑のコンバース。あの格好、いいな。  顔が熱い。知覧ってあんなキャラなのか? もっと無愛想で、口数が少なくて、硬派なイメージだった。  跳ねた心臓がなかなか収まらない。って、俺は何ドキドキしてんだよ?   胸ぐらを掴み、ブラウスを揺さぶった。 「女だったら惚れてたわ」  ドキドキしてるけど、これはそういうんじゃないのだと、達也は自分に言い聞かせた。
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