兄弟

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 知覧には家の外観を伝え、直接来てもらうことにした。でも待ちきれなくて、安形智史は家を出た。土曜日。昼に友達を呼ぶなんて中学以来だ。  キャップを被った男が見えた。脈が速くなった。 「知覧さんッ!」  手を振ると知覧は顔を上げ、残り十数メートルを走って来た。……ああ、たまんない。企みなどあるものか。彼と自分は相思相愛だ。でなければ頬を染めたりしない。 「怪我? どうしたんですか?」  目の下、綺麗な肌に絆創膏が二枚、繋げて貼りつけられている。それでもカバーしきれていない。 「喧嘩」  チリっと腹の中に火花が散った。 「絆創膏変えましょう。うちに大判のがあったはずだから」  そう言ってさっさと自宅に連れ込んだ。「ここへ」と食卓に座らせる。 「いい匂いがする」  そりゃあ「ごちそうする」と言って呼び出したのだ。胃袋を掴むための料理が鍋、フライパン、冷蔵庫に用意されている。 「腹、ちゃんと空かせてきました?」  知覧はこっくりと頷いた。裏付けるようにぐう、と腹の虫が鳴く。「あっ」と恥じらう男のなんと可愛らしいことか。智史は微笑み、料理を温め直した。  知覧の隣に向かい合うように座り、絆創膏を取り替えた。知覧は目を伏せ、されるがまま大人しくしている。智史は絆創膏を押し付けるフリで、彼の滑らかな肌をその手に覚えさせた。じわじわと触れている部分が熱くなっていく。 「いつまで……そうしてんだよ」  言われて逆に力が入った。知覧のまつ毛が怯えるようにひくりと震える。 「今日、知覧さんが来るの嬉しくて、ローストビーフとか生春巻きとか、たくさん作っちゃいました。食べ切れるかな」  知覧の腹がまた鳴った。 「ふふ、用意しますね」  熱い頬から手を離し、智史は台所へ向かった。小分けして盛り付けていく。  食卓に並べながら知覧を見やる。彼は絆創膏の上に手を当てたまま、出された料理をボウっと眺めている。どうしてそんな姿にオスの本能が刺激されるのだろう。智史はこれまで四人の女の子と付き合ったことがあるが、その誰にも芽生えなかった庇護欲みたいなものが、知覧相手には泡のように溢れてくる。  向かい合って座り、「召し上がれ」と勧める。知覧は両手を合わせて「いただきます」と言った。言うだろうなと思った。彼の性格がなんとなく分かってきた。  知覧はローストビーフに手を付けた。ソースはわさび醤油、ヨーグルト、アボカドを用意した。ヨーグルトソースを一番に選ぶところすら可愛いと思ってしまう。もう重症だ。 「うまっ」  いつもより幼い表情。だめだ。可愛すぎる。見惚れているとその背後、磨りガラスのドアに人影が見えた。  ガラッと開き、兄が現れた。 「兄さん」  智史が言うと、知覧は弾かれたように振り返った。兄の視線が知覧へ注ぐ。  智史の兄、春人は二十八歳の社会人。大学卒業後、地元の優良企業に就職した。長身痩躯、なでつけるようにセットした黒髪、銀縁メガネ、絵に描いたようなインテリだ。親戚は兄を賢くて立派と褒めそやすが、智史は兄のことが苦手だった。表情がなく、何を考えているのかわからない。口数が少ないわけではないが、感情以外の情報しか伝わってこない。 「彼は?」 「……知覧さん。不良に絡まれてるのを助けてくれたんだ」 「……おじゃましてます」  知覧はぺこりと頭を下げ、そのまま顔を上げない。家に呼ぶ際、彼は何度も「家の人はいないか」と聞いてきた。大人に人見知りするタイプなのだろう。兄は「仕事がある」と言っていたのに、まさかの展開だ。 「智史、悪いがばあさんを迎えに行ってくれ。俺はこのまま次の現場へ行かなきゃならない」  兄はネクタイを緩ませながら言う。 「でも……」 「知覧くん、きみはゆっくり食べていればいい」  俯いたまま知覧は頷いた。 「智史、ばあさんが待ってる」  兄に急かされ、智史は席を立った。 「知覧さん、すみません。二……三十分くらい外しますけど、気にしないで食べててください。食べ切っちゃっても良いので」  冗談が冗談にならずに浮いてしまう。  タイミングの悪さを呪いつつ、智史は祖母を迎えに家を出た。  
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