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第8話 あずきの旅立ち 2
リビングに戻ったあずきは、再びソファに仰向けに寝っ転がった。
待ってましたとばかりに、おはぎがお腹に飛び乗ってくる。
「うぐ。ちょっとおはぎ、太った?」
寝転がりながらあずきが封筒の中身をもう一度覗くと、さっきは気付かなかった何かが入っていた。
それは折り畳まれたカードだった。
何の気なしに開いてみる。
『月の女王は紅茶がお好き。満月の夜、湖に小舟を浮かべ、ティーパーティを催します』
……なにこれ?
「ねね、ママ。これ。変なカードが入っていて……」
「待たせちゃってごめんね、あずき。今、電話を掛けてあげるから」
お風呂掃除を終えたママがエプロンで手を拭きながらリビングに戻ってくると、カウンターに置いてあったスマホを手に取り、早速祖母に電話をした。
程なく電話が繋がる。
「あ、わたし。元気してる? そっちも暑い? 最近ホント暑さが厳しいから気を付けてね」
近況とか色々話していたママが、その内あずきをチラチラ見始めた。
「そうそう、手紙届いたわよ。わたしには辛かったのに、孫にはホント甘々なんだから。……あぁはいはい、分かりました、ごめんなさい。お説教は結構ですー。あ、あずきに代わるわね」
渡されたピンクのスマホには、バラ柄にスワロフスキーがあしらってあった。
バラ柄が多いのは、ママの私物の特徴だ。
下手をすると、あずきより少女趣味だ。
キッチンに戻るママを見送ると、あずきはスマホに話し掛けた。
「おばあちゃん? わたし。あずき。元気?」
あずきはソファに寝っ転がったまま話した。
おはぎは相変わらずあずきのお腹の上に乗っかったまま、微動だにしない。
『元気よ、元気。あずきちゃんも元気そうで良かったわ』
電話越しに流ちょうな日本語が聞こえてくる。
声だけなら、おばあちゃんが英国人とは誰も気付くまい。
『あずきちゃんももう六年生でしょ? 来年は中学ね。どう? お受験とかするの?』
「いやいや、わたしそんな頭良くないもん。地元の中学に通うよ」
『あらそう? まぁそれもいいかもね。部活ざんまいになるだろうから、近いと身体、楽だしね』
前回祖母と会ったのは正月だったから実際には半年以上会ってない計算になる。
だが、スマホ越しに聞こえてくる七十歳を超えてるはずの祖母の声は、相変わらず、すこぶる元気そうだった。
「ねぇおばあちゃん、同封されてたカードのことなんだけど……」
『ん? カード? カードなんて入れてたっけ?』
「月の女王がどうとかって書いてあったけど、あれどういう意味?」
電話の向こうの祖母が一瞬、押し黙る。
『……何て書いてあったって?』
「いや、だから『月の女王は紅茶がお好き』って」
そういってカードをもう一度開く。
だがそこに書いてあったのは……。
『夏休みになったらこっちにいらっしゃい。会えるの楽しみにしてるわね。おばあちゃんより』
――え? え? えぇ?? 確かに書いてあったのに、今見ると違う文章が書いてある! なんで? なんで? なんで??
『月の女王は紅茶がお好き……。確かにそう書いてあったのね?』
祖母が静かに聞く。
「うん。でも、今見ると全然違う文字が書いてあるの。おっかしいなぁ」
祖母が電話越しにフっと笑った。
『疲れてるのよ、あずきちゃん。最近ほら、暑い日が続いているし、今日もそっちは暑いんでしょ? 学校でいっぱい勉強もしたし、疲れて何かと見間違えたんでしょ。ゆっくり休むといいわ。あぁそうそう! エミリーに大事なこと話すの忘れてたわ。あずきちゃん、ママと代わってくれる?』
あずきはソファから起き上がり、ママに向かってスマホを差し出した。
おはぎが、ピョンっと飛びのく。
キッチンから戻ってきたママはスマホを受け取ると、話しながらそのままキッチンに入って行った。
ママが祖母と何かを話しながら、たまにチラっとこちらを見る。
でも気にする余裕も無い。
頭の中にハテナが大量に浮かんでいる。
あずきはソファに座り直し、再びカードを見た。
おはぎが横に来て、ぴったり寄り添う。
上下ひっくり返しても、裏から透かして見ても、カードには月の女王がどうなんてどこにも書かれていない。
――じゃ、わたしは何と見間違えたの? 暑さで頭がやられちゃったのかなぁ。
話し終わったママが右手にお気に入りのバラ柄のティーカップを持ってリビングに戻ってきた。
中身は熱い紅茶だ。
ママは暑くても熱い飲み物を飲む。徹底している。
「あずき、話がまとまったわ。おばあちゃんのところには終業式の翌日から行ってらっしゃい。お盆の頃にはパパとママが合流出来るから心配はいらないわ。半月くらいかしらね。その程度の期間なら問題無いでしょ。ママたちが行くまでおじいちゃんとおばあちゃんにたっぷり甘えてらっしゃい。あ、でも、宿題はちゃんと持って行くのよ」
そう言ってママはニッコリ微笑んだ。
「にゃあ」
ソファに座ったあずきの隣で、おはぎが小さく鳴き声をあげた。
黒い頭があずきの顔を覗き込む。
あずきはカードの件で腑に落ちない気持ちをとりあえず棚上げにすると、夏休みに待ち受ける楽しい出来事の数々を想像し、おはぎに頬ずりした。
こうしてあずきの、生涯忘れることの出来ない夏休みが始まるのであった。
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