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1話:出会い
これは半年前の事。
俺がまだ高校1年生で、彼女が中学3年生だった時の話。
10月の涼しい日だった。夕日が綺麗だった事はよく覚えているから5時くらいだったのだろう。何をした後の帰りだったかは記憶に無い。
河川敷の土手上を歩いて、1人家まで帰る途中だった。いつもはもう1人一緒に帰る奴がいるのだが、この日は偶々1人だった。
いつになく解放的な気分で、夕日を眺めながら歩いていると、土手の坂の芝生部分で膝を抱えてうずくまっている女の子が目に入った。
女の子はブレザーの制服姿で、顔を腕で隠し、その肩は少し震えていた。
学校の名前は思い出せなかったが、近所の中学校の制服だったことは覚えていた。
土手の上からわかるような目立った特徴といえば、左手首に大き目な緑色のシュシュを付けている事くらい。
関わると危険なことになるのは分かっていたものの、いつになくきれいに見える夕日のせいで開放的になっていた俺は、考える前にいつもの癖でつい声をかけてしまった。
「なあ、君。どうしたんだ」
それを自分に対する言葉なのだと最初は気づかなかったのか、彼女はしばらくうつむいたままだたが、やがてあきらめたように一瞬顔を上げて叫んだ。
「別に!何も!」
金切り声でそう言うと彼女はすぐに元の体勢に戻ってしまった。
一瞬だけ見えた彼女の顔はひどいものだった。
涙で目の周りは腫れあがり、不快であることを表すように、眉間にはシワもよっていた。前髪は腕に押し付けているためぐしゃぐしゃで、額は赤くなっていた。
俺は少しどうしようか考えた後、ゆっくりと彼女の隣に座った。
「何故」
彼女は顔を上げずに不機嫌そうに疑問を発した。
「いや、なんとなく。放っておけなくて」
「偽善者」
「いや、はは、そう言われても何も言い返せない」
泣いていてうずくまるほどの何かがあったであろうに、返ってくる言葉は随分と切れ味がある。
「ただの自己満足だからな」
「割り切ってるんですね」
「たぶん諦めてるだけだぞ。そういうもんだって」
今までくぐもって聞こえていた声が急に声が鮮明に聞こえた。眼だけで横を見ると、顔を少し上げて俺を見上げている彼女が見えた。するとすぐに前を向いて、何があったのかを話し始めた。
その顔は、少しはマシになったように見えた。
「今日、両親のお葬式だったんです」
マシになったその顔とは裏腹に、話の中身は思っていたよりも重かった。
「両親、と言っても父は去年再婚しているので、母とは血がつながっていなかったんです。なので、私としてはあんまり両親って感じでもなかったんですけど、やっと仲良くなって来たところで・・・まあ、それ以外にも色々と重なって」
「泣いてたわけだ」
「別に泣いてなんか無いです」
強がりか、単純に彼女の性格か、切り返しが早すぎて何も言えないままに彼女の話が続く。
「色々・・・というのも、元の両親が離婚した際に環境がガラリと変わってしまったんです」
「環境の変化か」
「詳しくは話せないんですけど、本当に全部が変わったんです。自分の振る舞い方も、相手も」
離婚となればそのくらいの劇的な変化があっても不思議ではないだろう。
ましてやそのために引っ越しをしなければならないことだってある。
「それは、災難だったな」
「あ、いえ。その変化は自ら望んだことなんです」
今までの自分からどうしても変わりたくて。と彼女は漏らす。
「なら、さっき泣いていたのは虚しさか、悔しさも混ざっている?」
そう聞くと、彼女は勢いよくこちらに振り向き、少し驚いたような表情をした。
「よ、よくわかりましたね。私が主に両親の死を悲しんでいないこと」
「いや、まあ単純に推測」
そもそも離婚をするような環境は、お世辞にだっていいモノとは言えないだろう。その環境の中で両親を好きになれる人間がどれだけいるのか。人にもよるが、家族という繋がり以外では情は沸き辛いのではないか。
そんな中、彼女の父親が離婚し、他の女性と再婚することになった。
つまり彼女は、人生をやり直す権利を得たのだ。
もちろん完全なやり直しはできないだろうが、それは考え方次第だろう。心機一転を試みている人間の目には、そのタイミングで身近な人の態度が変わるのは、むしろポジティブに映るもの。
ともかく、彼女は父親との関係を修繕し、新たな家族を作ろうとしたのだ。
そして1年後、その新しい家族はあっけなく亡くなった。
あくまでも感じ方は人によるだろうけど、いや、まあ何を優先するのか、という話だと思う。
「よくもまぁ、真っ先に虚しいとか、悔しいとか出てくるなんて・・・」
「違った?」
「違いませんけど。なんでそういう風に考えたのかは気になります。人の心とかないんですか」
「人の心が無い、は言い過ぎだと思うが」
何を優先にするのか。人の命か、自分の環境か。
身近に、まさにそういう奴がいるから。とは流石に初対面である彼女には言えず。言ったところで納得はしてもらえないであろうと悩んでいる内に彼女の方から話を始めた。
「私は、あの父親が嫌いでした。あれを選んだ新しい母も嫌いでした。
でも、そうは言ってられないじゃないですか。私があの人について行くと決心したんだから
せっかく色々変えて合わせて頑張ったというのに。もう、全部無駄になっちゃいました。
そりゃぁ、少しは悲しいですよ。血の繋がっている人が1人死んだんです。
けど、何よりも虚しさが勝つんです。
努力して、まともな人間になろうとしたのに。
それが全部無駄になってしまった事が虚しいんです」
だから悔しくて泣いてたんですよ。
そう言って彼女は立ち上がり、伸びをした。
「あーあ、私これから何を目指せばいいんだろう」
誰言うでもなく呟いたであろうその言葉に、
「何かに執着するとかはどうだろう」
「執着・・・・」
「好きな事でも、好きな物でも人でも何でもいい。
自分がなにか熱中できることを持つのがいいんじゃないか。
そういう対象があれば、何をするにしても、それのせいにできる」
それの”ため”といった方が聞こえはよかっただろうか。
しかし、意図は汲んでくれたらしく、彼女は立ったままこちらに顔を向けた。
「それは・・・どうやって見つけるんですか」
「きっかけは思い込みでいい。適当だっていい。
たまたま明日、目についたものでもいいし。ちょっといいなとか思ったものでも」
そうして俺も立ち上がり、こちらの言葉を真剣に聞こうとしている彼女の眼を見る。
「他人に迷惑が掛からなければ、それでいいんだと思う」
「趣味とは違う、自分本位で執着出来るもの・・・・」
彼女が下を向き、呟いた。なにを考え込んでいるのか、その姿勢のまま固まった。
しばらくすると、顔をあげてこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
「なんとなく。どうしようか分かったような気がします」
「そうか、なら、よかったよ」
本当に良かったと、この時俺は思った。
そもそもこの日、彼女に声をかけたことが俺にとってのおせっかいで、まぎれもない執着だったから。俺の自己満足で彼女の気持ちが少しでも軽くなっていればよかった。
その後、しばらくして立ち上がった彼女は、思い出したかのように声をあげた。
「まだ名前を言ってなかったですね」
コホン、と一つ咳払いをして名乗りを上げる。
「私は、交野優といいます。今日は、ありがとうございました」
その後、俺の名前を聞くこともなく彼女は、自分の顔を橙色に染め上げる夕日には脇目もふらずにその場を後にした。
これが、交野優という女の子と最初の、そして最後の会話だった。
そんな、青春の1ページを飾った秋下がりの会話から半年後。
年は明け、無事高校2年へと進学を果たしてからしばらく経った5月の始め。
新入生も在校生も徐々に学校に慣れ始め、それと比例するように、投稿している生徒の背中から億劫になっているのがうかがえた。
そんな中俺は、学校の校舎の前の群衆の一部となって一つのものを注視しながら、半年前の河川敷での青春を思い出していた。
周りからは嗚咽や、吐き気をこらえる声、何に群がっているのか気づいた生徒らの悲鳴じみた声が聞こえる。周りには生臭さと、鉄が混じったかのような香りが立ち込めている。
原型をとどめていないであろうそれの、言葉にできるような特徴といえば、もともと左腕であったであろうその手首には持ち主の血を吸って半分以上黒色に染まっている緑色のシュシュがついていた。体格も、心無しか彼女に似ているように感じる。
半年前、夕暮れの朱が目についた交野優に似ている。
後ろの群衆から、声を抑えた声が聞こえる。
「なんだよこれ・・・」
「おい、確かあれって・・・1年の・・・」
「ねぇ・・・あのスカートのいじり方って・・・」
「うっわ・・・えっぐ・・・・顔知ってるやつの死体なんて初めて見た」
思わず、顔をしかめて空を仰ぐ。正直、それから目を背けたかったが、上を向いたせいで生臭い鉄のにおいが鼻について、直前の光景がより強く頭をよぎる。
そのせいで、目を背けたい現実が否応無しに迫ってくる。
半年経って久々に再開した女の子が、もの言わぬ肉塊に成り果ててしまった。そんな現実が。
ともかく、交野優は、校舎からの屋上から落ちて、死んだのだ。
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