9人が本棚に入れています
本棚に追加
俺は自分の学ランの袖口を見せた。
そのボタンを指さして見せる。
「このボタンが取れた時に、すぐに付けてくれた。そういう女」
「洋裁が得意という事ですね?」
「いや、得意とかそういう事じゃなく、そういう気遣いができる女って事だよ」
「そんなの、側にいなきゃできない事じゃないですか。私は先輩の側にいられないから、どんなに頑張ってもたちうちできない」
「まぁ、縁が無かったって事だね」
「酷い」
彼女はメガネを外して、その濡れた瞼をこすった。
「側にいられない私は先輩に好かれるチャンスもないなんて」
俺は面倒になって、靴箱から靴を取り出して履き始める。
「まぁ、そういう事だから。じゃあね」
こんな事で諦めてくれるのであれば、助かるのだが。
彼女はなかなか執念深い性格をしていた。
昇降口を出てしばらくすると、靴に履き替えた彼女が後ろから付いて来た。
女のストーカーも結構怖い。
生き霊に取り憑かれた気がする。
彼女を撒く為に、俺は全力疾走して逃げる事にした。
何だろう、何も罪は犯していないのになんだか悪い事をした気がする。
これまで兄はずっとただの女ったらしだと思ってきたのだが、もしかしたら相手を憐れむ気持ちがあるって、断りきれなかっただけかもしれない。
告白されてその相手を振るのにもエネルギーがいる。
良心の呵責に苛まれて、嫌な気分になる。
この苦行に耐えられないのであれば、兄のように片っ端から付き合わなければならなくなる。
知らなかった。
モテるのって、案外辛いものなんだな。
次の日、学校に行くとまたあの後輩が昇降口で待っていた。
まるで今来たばかりという顔をして待っている。
俺はそういうしつこい女は嫌いだ。
だけど、自分も同じ事をしていた。
中学の修学旅行の時にしっかり振られているくせに、まだ未だに好きだと言って安村さんの気を引こうとしていた。
もしも自分と同じスタンスの人間がいるとすれば、それは彼女だった。
そう思うと、やはり同情して彼女を邪気にできなくなる。
それはつまり、兄と同じ道を辿る事になるのだ。
仕方がないから自分の方から声を掛けた。
「よお」
昨日は全力で走って逃げていたくせに、もう何かの覚悟ができていた。
「君島先輩、おはようございます」
彼女が何かを渡して来た。
「これ、私が焼いたクッキーです」
「ふん、胃袋掴む作戦か?」
「甘い物は好きですか?」
「まあ、モノによる」
俺はそのクッキーとやらを受け取って、上履きを履いた。
「でも、付き合わねぇからな」
そう言ったけれど、彼女はキリリと眉毛を吊り上げて睨みを効かせる。
「それでもいいです。これは推し活ですから」
「推し活?」
「はい。たとえ先輩に振り向いてもらえなくても、私はやっぱり先輩が好きなので」
「おいおいおい、それ怖過ぎるだろ」
「気にしないでください。勝手に追いかけてるだけですから」
「ストーカーとどう違うんだよ」
「たぶんストーカーは見返りを求める愛情です。でも推し活は見返りがなくても愛を注げます」
「立派な解釈だな。だったら、俺も自分の好きな女に推し活してるよ。小学生の頃から」
「それは凄い」
「可哀想だろ?」
「何で?尊いと思います」
「尊い、ねぇ…」
最初のコメントを投稿しよう!