彼女の棘

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彼女の体は温かい。 まるで、不思議な気分だった。 さっきまで怯えていた表情の彼女が、穏やかになって瞼を閉じたまま俺の胸に頬を付けていた。 動揺が抑え切れない。 冷静でいなければ、そんな思いと欲望のせめぎ合いが始まった。 「俺は大学を卒業したら、そのまま就職する。まだ決まってないけど、そこで金を貯める事にするよ。それで準備をするから、君は気持ちが落ち着くまで充分時間を掛けて昔の事は忘れるんだ」 「もう私はお兄さんの事は好きじゃない」 「でも、まだわだかまりが残ってる。このままじゃ、お互い幸せにはなれない。だから、俺が結婚の準備をしている間に、君も自分のキャリアのために頑張ってお互いに二人で暮らせるようになれる時を待とう」 「そうやって、私を切り捨てるつもりでしょ」 「違うよ、君はまだ全然未練が絶ち切れてない。俺もこのままじゃ、嫌だ。君と無理矢理関係を持とうなんてしないから、君の気持ちが落ち着くまで待つ事にする」 「いや、君島くん私と…」 「いつか必ず二人になれる時が来る。その時まで今はこのままでいよう」 「いや、きっと私の事なんか忘れちゃう」 「俺は君しか愛せない」 「嘘付き」 「俺の一途な性格は君が一番良くわかってるはずだろ」 「ストーカーだよね?」 「推し活だよ。試しに俺に好きって言ってみな、俺は逃げないから」 「……」 連絡通路につながる百貨店から、客が流れ込んで来た。 そのザワザワとした喧騒の中で、彼女が俺に「好き」と微かに呟いていた。 俺はそれを決して忘れない。 彼女を強く抱きしめて誓った。 「必ず、二人で暮らそう」 俺と彼女はそれぞれ就職した。 お互いに連絡を取り合いながらではあったけれど、頻繁には会っていない。 会ってしまうと、自分を抑える事ができなくなってしまうからだ。 彼女は仕事が行き詰まる度に連絡をして来て、俺と結婚すると騒ぎ立て、やがてそれも忘れると仕事に没頭していた。 そんな事をしている間に、兄の家には子供が二人産まれて、二児の父親となる。 教員生活も板について、すっかりいい学校の教師になった。 そしてある日、俺も実家を出ていたが、兄も実家に帰るという共通の日が訪れて、その機会に安村さんを呼ぶ事にした。 「安村さん、覚悟はいいか?」 「何で覚悟がいるの?」 「兄貴と対面するぞ、子供も二人いるぞ」 「わかった。さすがに、もう大丈夫だって」 「よし」 俺は実家のドアを開けた。 開けた途端にドタバタと小さな子供が走って来る。 「あ、お客さん!」 「いらっちゃいませ〜」
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