彼女が好きなのは俺の兄

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彼女が好きなのは俺の兄

兄の清政は、英語の授業を始めた。 その発音はネイティブが聞いたら笑ってしまうのかもしれないが、俺たち普通の日本人にとってはそこそこいいモノだった。 だからスラスラと英語を語り出す兄の姿を見て、大抵の人間は彼をカッコいいと思ってしまう。 教科書を持ってそれを読み上げる姿は、男の俺から見ても憧れる。 留学経験もないし、女遊びしかしていない兄がどうしてあんなに勉強ができるのかはわからないが、兄は優秀だった。 安村さんは靴投げの一件から兄に関わる事はなかったし、学年の違いから同じ学校になった事も小学生以来ない。 それでも、彼女は兄を慕い続けていたようだった。 俺は学区が同じ事から、同じ中学にも通っていて彼女と同じ修学旅行に行った。 宿泊先のホテルのラウンジには暖炉があって、そこで赤々と燃える松明が降りしきる雪景色の前にあった。 松明の燃えるパチパチという()ぜる音を聞きながら、最高にロマンティックな気分になって俺は彼女に近付いた。 「綺麗だね」 その言葉に彼女は俺の方を向いた。 「雪の事だよ」 「あ、ああ…そうだね」 いつの間にか横に座っていた俺に、彼女は驚いていたようだった。 ガラス張りのラウンジには、大粒の雪が激しく降り続いている。 「今日はスキー無理だよね」 「そうだね」 彼女は雪を眺めたまま気のない返事を返すだけ。 松明の明るさで彼女の顔が(ほて)って見える。 俺はそれを見惚れていた。 少しだけ開いたままの唇に目が奪われていて、逸らす事ができない。 本当は綺麗だと言いたかったのは、彼女の事だった。 俺は彼女との接点は何も無くて、彼女を好きになる理由も思いつかないのに、彼女の事が好きでたまらなくなった。 そういうのは動物的だと言われるのかもしれないが、俺は彼女に一目惚れして夢中になっていた。 彼女になりたいとすら思った事もある。 その手に触れて、髪にも触れたいと思った。 だからパチパチと燃える松明の前で俺は自然と彼女に言った。 「俺、君の事が好きなんだ」 なぜだか周りに人もおらず、二人だけで暖炉の前にある大きなソファに掛けていた。 彼女が驚いた顔をして俺を見つめる。 「あなたの事知ってる、君島さんの弟でしょ」 つまり、彼女は兄の事と関連して俺を覚えていた。 俺は君島清政の弟、そういう位置付けだった。 同じ苗字の顔の違う弟が、彼女に告白して来た、そういう事だった。
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