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来た道を戻り、大通りに出てファミレスへ入った。
「この辺はあんまり変わらないね」
碧は風景や建物を懐かしがった。
「このファミレスも親と一緒に来たことがあるけど、記憶のままだよ」
睦美は閉じた唇のまま微笑む。
碧の視力低下については、麦であればいつ頃まで見えていたのか、どの程度見えていたのか知っているだろうが、当然のこと睦美は知らない。当時麦から説明された気がするが、どうでもいい細かいことはさすがに覚えていない。
「通ってた床屋さんはまだあるのかなあ?」
「……」
墓穴を掘らないよう微笑んで頷くにとどめる。
「っていうかさ、むーちゃんがすごく大人っぽくて、なんか調子狂う……」
懐かしさで胸がいっぱいで会話もままならない――という表情で碧をみつめ続けたからか、碧は照れ隠しに首筋を掻いている。
「そんなこと、ないよ」
睦美は小さく首を振りながら、心の中でほくそ笑む。
しばらくは碧に麦だと勘違いさせておこう。その間に、碧ともっと親密になっておこう。もしも――、そんなことはないはずだが、もしも碧の気持ちが手に入らなければ、そのときは早めに体の関係に持っていけばいい。
麦にみせるけるのは碧の身も心も奪ってからだ。当然、睦美が麦のふりをしていたことはバレてしまうが、自分に夢中にさせた後ならどうということはない。これまで同様『陰険で陰湿な妹』を庇い、その後は罪悪感を理由に振ってしまえばいい。「そんなのどうでもいい。俺が好きなのは君なんだ」と縋りつく碧を、麦にたっぷりとみせつけてやろう。
……ああ、早く麦を傷つけたい。
麦が卑屈になればなるほど、睦美の胸は清涼剤を巻いたように清々しくなるのだった。
+ +
―――新しい家族が迎えに来た日は、睦美が祖父母に捨てられた日だ。
睦美は、祖父母から『生まれてこなければよかったのに』と言われて育った。
幼い睦美には言葉の意味が理解できないと思っていたのか、世話をしながら、遊ばせながら、ふたりは日常的に嘆いていた。
ある日、祖父母から「もう一緒に暮らすことはできない」と告げられた。
「どうして? むつみがこのまえはしったから?」
数日前、水族館へ行った。行楽地へ出掛けることは珍しく、嬉しくてあっちへこっちへと祖父母の手を引いた。睦美にとっては楽しい一日だったが帰宅後、高齢の祖父母は疲労から寝込んでしまった。
「もうあそびにつれていってなんて、いわないから」
睦美は涙ながらに訴えた。
祖父母の言動が常に睦美の存在意義を揺るがし続けるとしても、ふたりがいなくなれば自分は生きていけないから。
「睦美は家族と暮らすんだよ」
祖父母の表情はいつになくすっきりして見えた。
「むつみのかぞくはおじいちゃんとおばあちゃんだよ?」
「睦美にはお父さんとお母さんと、双子の妹がいるんだよ」
「……」
両親は“事故で死んだ”と聞かされていた。それが突然、自分の親は生きていて、双子の妹まで存在していると言われても信じられるはずがない。
「このままおじいちゃんとおばあちゃんといっしょにくらしちゃだめなの? むつみ、いい子にするよ」
睦美は懇願した。
「おばあちゃんたちはね、この家を売って老人ホームに入ることにしたんだよ」
「じゃあ、むつみはどこでくらすの? むつみ、ここからはなれたくないよ、ここがいい!」
ひどく神経質な声が言った。
「そんなことは絶対に口にしちゃいけないからね」
「……」
「いいかい。つらくても逆らったり我儘を言ってはいけないよ。おとなしく良い子にしていたら追い出されないからね」
睦美が何を言ってもふたりの決意は変わらなかった。
それからの数週間、学校の友達に別れを告げ引っ越しの準備をし、住み慣れた町を惜しんで過ごした。
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