2.捻じれる初恋(睦美)

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 夏休みと共に“新しい家族”との生活が始まった。睦美はに嫌われないよう静かにしていた。追い出されたら戻る場所がない――という現実は、想像以上の緊張感だった。  両親のどちらかは~またはどちらも~本当の親ではないだろうことは、会う前から察しがついていた。もっともらしい作り話に頷いていても、山ほどの矛盾からは目の逸らしようがなかった。『双子の妹がいる』と言われた後で『ただね、役所に届ける書類に出生日を間違えて書いてしまったから誕生日が違うんだよ』と苦しい言い訳されて信じる人間などいるだろうか。そもそも、母として伝え聞いていた名は実李(みのり)で、今度の母の名は李加(りか)だ。死んだと言われた両親が生きている理由も含め、突っ込めば誤魔化しがきかないことぐらいは子供でも分かる。それでも、睦美はすべての疑心を呑み込んだ。おそらく祖父母も心の奥底では睦美が騙されていないことを知っている。だが押し切ってしまいたい――という切迫した気持ちが、睦美を黙らせた。  新しい母は、数少ない写真の中の母にそっくりだった。  時々祖父母たちの会話に出てきた『あんな子』に違いない、と思った。 「あんな子に育てた私たちの責任だから……」 「実李と同じように育てたはずなのにどうしてあんな子になってしまったのか……」 「縁を切った人間の話はもうやめよう……」   睦美が小学生になると祖父母の会話から『あんな子』が消えた。同時に睦美の出生について愚痴ることも嘆くこともなくなった。睦美が分別のつく年齢になったことを意識したのだろう。だが本気で隠したかったのなら睦美が幼いという理由だけに安心してはいけなかった。睦美は祖父母の放った言葉をすべて覚えていたのだから。 「今まで一緒に暮らせなくてごめんね」  の謝罪には罪悪感がなかった。 「困ったことやして欲しいことは遠慮なく言うんだよ」  代わりに、父親のそれには後ろめたさがあった。  ……ああ、私のはこっちか。  誰に聞かずとも、睦美はだいたいの事情を察した。自分の本当の母親は、今度の母親の姉か妹なのだろうと。  睦美は礼儀正しく頭を下げた。 「はじめまして、お姉ちゃん! 私は麦だよ!」 「……」  両親の横から()が飛び出してきた。笑顔いっぱいの出迎えに面食らった。と同時に、親がいない卑屈さの中で育った自分との違いをみせつけられ身の置き場がなかった。だが、紛れもなく血が繋がっているだろう自分と似た顔の妹を心底嫌うことは出来ず、毎日懲りずに向き合ってくれるただひとりの人間に少しずつ心を開いていた。  ……麦ちゃんにも頼ってもらいたいな  自分ばかりが分け与えられていることがもどかしかった。  ……私が“お姉ちゃん”なのに、麦ちゃんがいなきゃ何もできない  そんな時、麦が木から落ちた。  睦美に手を伸ばした状態で地面に叩きつけられた麦は数十秒気を失った。睦美は必死に揺り動かした。 「麦ちゃんっ、麦ちゃんっ、麦ちゃんっ」  死んでしまった――と思った。自分が下敷きになればよかった、生きてても誰も喜ばない自分が死ねばよかった、心からそう思い泣き崩れた。 「っう、うぅ……」  小さな呻き声が聞こえた。 「っ!」  睦美は咄嗟に、地面に伏した。取り乱し涙でぐちゃぐちゃになった顔が恥ずかしかったのもあるが、“自分が犠牲になりたかった”という想いが願いへと早変わりした。 「――――待って、て、誰か、呼んでく、る」  意識を取り戻した麦は痛みに悲鳴を上げながら、睦美を助けるために通りへ向かって這いだした。遠ざかる麦を薄目を開けてみつめながら、胸がいっぱいになった。麦のような子が妹で良かった、と思った。あの家で自分に真っ直ぐに笑いかけてくれるただひとりの、優しくて強い、妹――。  だが麦は助けを求めた大人に抱きかかえられあっという間に視界から消えた。 「……」  睦美はしばらく地面の上で横たわり――、足音一つしなくなった世界でむくりと身を起こした。  家に戻ると誰もいなかった。  そうして夜になっても、朝になっても、誰も戻ってこなかった。
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