2.捻じれる初恋(睦美)

4/4

34人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
   *  ふいに蘇った過去をそのままに、睦美は碧に微笑んだ。生まれてから惨めじゃなかったことがない少女は、あの日一度死に憎しみを携えて生き返った。  麦が憎い! 憎くてたまらない!  同じなのに自分だけが生まれた瞬間から歓迎されなかった。否定され続けた。そんな不公平があっていいはずがない。手始めに、麦が手にしていた絶対的な安心と平和な日常を根こそぎすべて奪って自分のものにすると決めた。そうすれば他人に愛を分け与えてあげようなんて思い上がった性根も直るはずだから。 「――アオくん、いっぱい頑張ったんだね、えらいね」  碧からの「今までお互いがどうしていたか教え合おう」という提案をさりげなく受け流し質問を浴びせ続けた。 「誰でもが耐えられることじゃないと思う」  何度も手術を乗り越えたという話に唇の前で両手を組む。 「それに資格まで取得するなんて、すごいよ」  大学で動物学を学びいくつかのアニマルセラピー資格を持ち、ここからさらに獣医師の元で学ぶつもりだという近況にも目を輝かせる。 「尊敬しちゃう」  どんなにつまらない話も興味がある言動で自尊心をくすぐれば、大抵の男は落ちる。“綺麗な女”からの賞賛ならなおさらだ。 「むーちゃんも犬派だったよね」 「犬は可愛いもんね」  睦美はにこにこする。  麦が犬好きだなんて初めて聞くが、以前の麦がどんな人間だったのかうっすらとしか思い出せないのだから仕方がない。 「むーちゃん、いちごパイは食べないの?」 「え?」 「今フェアやってるって、ここに書いてある」  碧が指したメニューに視線を向ける。  麦はいちごが好きだったのだろうか? 睦美は素早く記憶を辿る。 「えっと、ダイエット中だし私は遠慮しておくね。アオくん、食べる? 注文しようか?」  面倒になりはぐらかした。  麦の嗜好にも感情にも興味がない。子供の頃にいちごが好きだったにしても大人になり変わることもあるだろう。もし突っ込まれたらそう言えばいい。 「むーちゃんにダイエットなんて必要ないんじゃないかな」 「そんなことないよ。油断するとすぐ太っちゃう」  こういうと大抵の男は「ちょっとぐらい太ってた方が可愛いよ。俺はむーちゃんが太っても気にしないよ」などと言ってくる。案の定、碧も似たようなことを口にした。 「むーちゃん、また会えるよね?」  別れ際、ファミレスの前で碧が切ない声色を向けてきた。 「もちろん! 私も会いたい……あ、でもね」 「どうしたの?」 「しばらくは私たちのこと誰にも話さないでほしいの」 「誰にもって、れいちゃんにも?」 「うん」  視線を地面に落とす。 「手紙……無視しちゃったから気まずくて」 「どうして無視したか、聞いてもいい?」 「いつか、打ち明けるよ……」  困惑している碧の手を取る。  ほろりと涙が零れた。  ここぞという時に泣けるのは睦美の特技でもあった。“可哀想な人”を演じると周りが大切にしてくれる。最高に気分が良くて、やめられなかった。 「いつか必ず理由を話すから。だから今は私を信じて、こうやって会ったことも内緒にしてほしい。じゃないと私、私……」 「むーちゃん……」  麦のふりをした理由なら、すでに思いついていた。―――麦は『ある日突然現れた睦美(双子の姉)に両親の愛情や友人や、居場所を取られたと僻み、醜い嫉妬をぶつけるうになった』。まずはこれまで同様、周囲に打ち明けてきた内容と同じでいいだろう。麦の評価を落としてから、『今の麦を見て幻滅してほしくなかった』と優しい姉の立場から弁明しよう。そして『麦のふりをすれば碧の大切な思い出を守れると考えた』と切々と訴え、『けれどいつのまにか碧に惹かれてしまい、嫌われたくなくて言い出せなかった』と泣こう――。完璧だ。 「約束、してくれる? 今日私に会ったことは誰にも言わないって」  碧を見上げる。  カラーレンズでよく見えない目元に向かって懇願する。  碧が肩を下げた。 「わかったよ。だから泣かないで」  流れてきた涙を指先で拭われた。 「……」  その指の冷たさになぜだか、ゾクリとした。  ……この男、絶対に手に入れよう  演じ切ってほっとした、その一瞬に入り込んだ衝動は“ときめき”に似ていた。     ~睦美視点、終わり~
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加