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3.私はここにいるよ
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通り沿いのファミレスになにげなく視線を向けてすぐ、呼吸ができなくなった。まるで空気が裂けたみたいだった。
「はは……、は、」
今、自分が見ている光景が嘘であってほしい――そう願うことすら無意味で、つい笑いが漏れた。可笑しくて笑っているわけじゃない。あまりにも私の世界は無情で、自分が憐れで、雁字搦めで、笑うしかなかったのだ。
……勘違い、したんだ。
窓際のボックス席で向かい合うカップルの、女は睦美で男は碧だった。
……私に会いに来て、それで私を睦美だと思ったんだ。
数時間前のこと。
今日もバイトの時間が楽しくて、私は張り切って働いた。
「むーちゃん、見て見て」
仕事が一段落し小休憩に移ると麗がスマホを向けてきた。
「これ、アオくん」
「えっ!」
私はその画像に引き寄せられる。「ちょっと、撮らないで」とでも言ってそうな、てのひらを向けた男の子が写っている。
「これが、今のアオくん?」
当時も目を保護するための医療用眼鏡を掛けていたが、今も色のついた眼鏡を掛けている。
「目、治ったんだよね?」
心配になって聞いた。
「うん。ちゃんと見えてるって言ってた。眼鏡掛けてる方が楽なんだって。なんか逆にカッコイイ風だよね」
「あはっ、そうだね」
私はじいっと現在の碧をみつめた。頬が勝手に熱くなってくる。……大人になったなあ。
照れくさい気持ちと嬉しさと、懐かしさと、様々な感情が入り混じる。
「いつ会ったの?」
「昨日だよ。むーちゃんのこと伝えたら『近々会いに行く』って言ってたよ」
「えっ!」
「むーちゃん、気にしてたでしょ。手紙のことでアオくんが怒ってないかって」
「待って、待って、会いに行くってどこへ?」
「家じゃないかなあ、ほら、住所は知ってるわけだし」
私はスチール椅子から立ち上がった。居ても立っても居られないとはこういう状況のことを言うのだろう。
「困るよ、そんなの……」
もちろん会いたい。会いたいに決まっている。こうして麗と再会できて色褪せた私の毎日が劇的に変わったのだ。そこに碧が加わったら――想像しただけでも心に羽が生えてしまう。
「ホントに困るの?」
麗がニヤニヤしている。私は動揺する。
「う、困らない、よ、だけどさ、心の準備ってものが」
「準備だって?」
私が唇の中でもごもご言ったせいで、麗は辛うじて聞き取ったであろう「準備」にだけ反応した。
「初恋の男に会うと決めたらさすがのむーちゃんもオシャレをしたくなったのだね、ふむふむ」
「……」
そこまで気が回らなかったが、意識したら麗の言葉は紛れもなく私の本心になった。とはいえ女の子らしい服も靴も一着も持っていない。
―――「麦はジャージがいいよね」
「……うん」
学校の制服を脱いだら今度が学校のジャージを着る。睦美に言われた通りに。それを知らない母は買い物にいくたびに「好きな洋服を買ってあげるから選びなさい」と言ってきた。ある時、一度だけ選んだ。タイトなサロペットスカートに袖が膨らんでいる綺麗な色のカットソー。――可愛いな、着てみたいな、と思ってしまった。けれど睦美にズタズタに引き裂かれゴミ箱に捨てられた。そして母に告げ口された。
「ママ……、麦がね、夜中にハサミで……。『服なんかいらない』って怒って」
ゴミ箱を抱えた睦美は切なそうにしていた。
あれから母は二度と「服を買ってあげる」と言ってくれなくなった。
「そろそろバイト代入るでしょ、初めての給料で服を買うのはどう? 自分への『がんばった!』っていうご褒美で」
「あー、うん」
私は返事を濁す。バイト代はすべて睦美の手術費用へ回すと決めている。一日でも早く睦美の傷跡を治して、睦美に許してもらいたいから。
「とりあえず、このままでいいかな。アオくんは外見とか気にしないと思うし」
何も考えず口にしたら、麗が目を丸くした。
「うわー、ふたりして同じことを言ってる」
「え」
「アオくんもむーちゃんがどんな外見でもどうでもいいんだってさ」
「アオくん、変わってないんだね」
記憶の中の碧なら、そう言うだろうと想像できて嬉しくなる。
「うん、性格は昔のまんまだよ。おとなしくて、屈折してて、残念なことに毒吐きキャラも健在だったわ」
「はは。それは楽しみ」
それから私たちは碧との三人での日々を懐かしがった。
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