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仕事あがりに近くのカフェに入り、麗にこれまでの経緯を打ち明けた。誰にも話したことがなかった私の心の中のことも全部、話した。
突然現れた姉と一日も早く仲良くなろうとしたところから、睦美の胸元に醜い傷痕を残してしまったこと、そこから今日まで睦美に許してもらうことだけを考えて過ごしてきたこと。ただ、碧のことだけは言えなかった。
「なによ、それ」
麗は、会話の所々で私につられて泣き、そして怒った。
「なんなの、むーちゃんのお姉さんって悪魔なの?」
そんなこと、加害者の私が思ってはいけないと何をされても受け入れてきた。……けれど麗に言葉にされて、ああ、私も何度そう思ったかしれない――と認めることができた。
「むーちゃんが怪我をさせたからって、そこまでするなんてヘンだよ」
「けど、本当に、ひどい傷痕なんだ……」
私は自分の指で、睦美の鎖骨下から胸まで広がっていた傷痕の形を描いた。
「お風呂に入る時、着替えをする時、毎日それを見てるから、そのたびに私を許せなくなるんだよ」
実際、そう言われた。
許したくても、どうしても許せないのだと。その葛藤をわかってほしいと。
「っていうか親に相談したくないってなんで? むーちゃんのお父さんはお医者さんだしお母さんは看護師さんでしょ」
「……私も説得したことあったんだけど、親には絶対知られたくないって。言ったら『死ぬ』っていうから」
「はあ? ますますわけわかんない」
麗は理解できないと両手を空中に上げた。
「ねえ、お姉さんに会わせてよ。私がガツンと言ってやる!」
「だ、だめだよ」
「なんで」
「……」
麗は知らない。睦美と向き合った人が皆、睦美の味方になってしまうことを。
過去、人一倍正義感の強い友達が出来たことがあった。
クラスで浮き始めた私に声を掛けてくれ、睦美に「双子なんだからもっと気遣ってあげなよ」とまで言ってくれた。けれどある日を境にその子も私を見放した。睦美が言い難そうに、苦悩を滲ませてぽつぽつと告白した嘘の内容を信じて。
睦美の表情や言葉には人を説得する力があった。それを一番知っているのは、私だ。
「れいちゃん、私はさ、自分勝手だと思われてもれいちゃんを失いたくないんだ。だから会ってほしくない」
泣き笑いになった。
「なんで、そう思うのよ」
麗もまた泣き出した。
「わかんない。信じたいけど……でも、怖い」
笑顔はもう作れなかった。口に出したらさらに、怖くて怖くて、たまらなくなった。
「むーちゃんは、このままずっとお姉さんが望む通りに生きていくつもり?」
「……傷痕を治せれば、そしたら許してもらえるから」
「美容整形には何百万もかかるよ? それをひとりで稼ぐなんてあと何十年かかるかわかんないよ」
「……そうだけど、それしか方法がないよ」
「親に相談しようよ」
「でも」
「“死ぬ”なんて嘘だと思う」
「……」
「まずむーちゃんがすることは、親にすべて話すことだよ。子供が責任を取る範囲を超えてるよ」
「!」
麗の言うとおりだと、今初めて理解した。
そうだ、私の力だけじゃ、あと何十年も睦美の傷痕を治してあげることはできない。本当に、そのとおりだ……自分の視野はあまりにも狭かった。
「聞いてくれると思う?」
勇気を出す、その勇気が欲しかった。
「子供の話を聞かない親なんて、親じゃないでしょ」
「私のことは見限ってると思うんだ……」
「それも含めて全部話すの! 今までの態度は自分の意思じゃなかったって。お姉さんに強要されてわざとそうしてただけだって」
「信じてくれなかったらどうしよう」
婦人科勤務医の父は多忙で、家にはあまりいたことがない。平日の午前は一般診療、午後は手術、休みの日でも術後の患者をケアしに出勤する。家にいる時間帯が合わず、一週間以上顔を見ないことも珍しくはなかった。
父と同じ病院に勤務していた看護師の母は、家事や育児と両立するために夜勤のないクリニックへ移ったが、家では睦美とばかり話している。睦美は学校のことや勉強のこと、友達のこと、好きな男の子のこと、なんでも母に話している。ふたりは、私が思い描く『理想の母娘』だった。
「もしも信じてくれなかったら、むーちゃん、そんな家から出なよ」
「えっ?」
考えたことのない提案に驚き、ああ、そういう選択肢もあったのか、と生まれて初めて気づいた。
「うちに来ればいいよ。うちで一緒に暮らそう!」
「れいちゃん……」
「だからなんにも心配はいらないってこと!」
背中を押してくれる麗のおかげでようやく勇気が湧いてきて、私は何度も、大きく頷いた。
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