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母にすべてを打ち明ける決心はついたが、バイトをしていることもありなかなかふたりきりになるチャンスは巡ってこなかった。
睦美は日増しに艶めいていた。顔や髪や爪の手入れには今まで以上に時間を使っていて、時々、自分の唇に触れぼうっとしていることもあった。スマホにもひっきりなしに触っている。着々と、碧との仲を深めているようだった。
私の決意は不安定に彷徨い、動けないもどかしさと、碧を取られてしまった――寂しさと切なさを持て余していた。
睦美は、私のことを碧になんと説明しているのだろう。
勘違いさせたままなのだろうか?
だから私に碧のことを言ってくれないのだろうか?
疑問はずっと燻っている。
なのに睦美への罪悪感のせいで、それらの感情に蓋をしようとしてしまう。
そんな風にじりじりした数日をやり過ごしている中、麗に誘われた。
「ねえ、アオくんちに遊びに行こうよ」
「えっ?」
「研修も終わったらしいし。明日、むーちゃん休みでしょ、どう?」
「明日って」
急すぎて頭の中が真っ白になる。
「待って、明日はれいちゃんちに行く予定じゃなかった?」
「ははは。それ、先延ばしでもよくない?」
「よくないでしょっ」
碧に会える――そう思ったら、言葉とは裏腹に心臓がバクバクしてきて、勝手に手がばたばたと動いた。
「アオくんも、むーちゃんに会えるの楽しみにしてるってさ」
「!」
浮かれたそばから現実に返った。
……そっか、アオくんは睦美と私が別の人間だと知っているんだ。その上で睦美に会い続けているんだ、――それほどに睦美を好きになったの?
虚しさが押し寄せてきた。
「……そうだね、私も楽しみ」
けれど自分を納得させるしかなかった。
睦美を好きになったことと、昔の友達に会うことは碧にとって別問題なのだろうと。
* *
碧は帰国と共にひとり暮らしを始めたらしい。
一階にあるコンビニの横からエレベーターに乗った。
「鍵預かったからさ、まだ帰ってなかったら中に入ってようね」
麗に言われるがまま後に続いた。
「あ、ここだ。402」
麗はスマホを確認しながら表札のない部屋の呼び鈴を鳴らした。返事はない。
「よし、入っちゃおう――おじゃましまーす」
子供の頃と同じ、物怖じしない性格は健在だった。
玄関を開けると真っ直ぐな廊下が目に入った。廊下の先はリビングで左にキッチンがあった。
「おお、物がない!」
麗の第一声につられて、私も部屋の中を見渡した。テーブルとビーズクッションはあるがテレビはなかった。キッチンも使っている様子がない。
「こっちはなんだろ?」
片引き戸を開けると横長の部屋があった。がらんとしていた。玄関からすぐに出入りできるようにもうひとつドアがある。
「ほんと、なんもない。アオくんはここに住む気あるのかねえ」
「引っ越してきたばかりなんでしょう? これから物も増えていくんじゃない?」
ふたりで少し間取りの話をする。
麗は備え付けの引き出しや収納の扉を開けて使いやすさなどを口にしている。
「いいこと考えた!」
麗が手を叩いた。
「隠れてて、帰ってきたアオくんを驚かせよう!」
麗は悪戯っ子のように笑って玄関から靴を持って戻ってきた。
「ドアちょっとだけ開けておいて」
「あ、うん」
「リビングにいるアオくんが油断して気を抜いたところに、ふたりでジャジャーンと登場しよう!」
楽し気に企む麗につい、頬が緩んだ。子供の頃に戻ったみたいな既視感がある。
「アオくん、怒るんじゃない?」
「ふん。むしろ怒らせたいよね」
「謎の挑戦状!」
なんでもない会話が楽しかった。ここに碧が加わったらと想像しただけで心が弾む。
「ねえねえ、玄関からまっすぐこっちの部屋に入ってきたら意味なくない?」
「私はまっすぐリビングに向かうと思う。だってビーズクッションがあるじゃん」
「はは。根拠ってそれなの?」
「帰ってきたらまずくつろぐのが人間なのよ」
「納得できるようなできないような」
「それもひっくるめて賭けだね。むーちゃんどっちに賭ける? 私はリビング直行」
「じゃ、じゃあ私はこっちに直行で」
指先で自分たちが潜む部屋を指す。
他愛のない遊びに笑い合っていると麗のスマホが鳴った。
「うわ、店からだ。なんかトラブルかも。ちょっと外で取るね」
「うん、わかった」
私は黙って麗を見送った。
いくら幼なじみだとはいえ、麗の立場ではいちバイトの前で職場のトラブルについて口にはできないだろうから。
どのくらい時間が経っただろう。大した時間ではなかったと思う。だからドアが開いた時、麗が戻ってきたのかと思った。けれど声はふたつだった。男と、女。女の方は私が良く知る声だった。
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