5.思い出は嘘をつかない(碧)

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5.思い出は嘘をつかない(碧)

    *  *  初めからおかしいと思っていた。  麗から聞いていた麦の印象は『冗談みたいに地味』だったから。 「アオくんも会ったらコスプレ? って思うかも! でも中身は全然変わってないよ」  いつも『ダボダボのパンツにトレーナー姿』で、『不揃いに伸びた髪が顔の大半を隠し』、普段は似合っていない『時代遅れの眼鏡をかけている』と聞いた。それなのに目の前にいるは爪の先までオシャレな女子大生だった。  初めは麗にからかわれたのか? と疑った。  ――初恋のむーちゃんが陰キャになってたらどうする? 会ったこと後悔する? と聞かれて「ばかにするなよ」と憤慨したから。 「まあ、それならいいんだよ。私はむーちゃんを傷つけたくないだけだから」 「俺が“見た目”でむーちゃんを傷つけるって? そんなこと絶対ないよ」  どんどん視力が弱くなる恐ろしい世界で、人間の本質だけを頼りに生きてきたのだ。見えるものだけに惑わされたりはしない。  今でも思い出す。  初めて麦と麗が部屋に来た時のことを。  ふたりは気まずそうにすることも、腫れ物に触るような言動をするでもなく、臆せず目の前に座って質問攻めにしてきた。 「――ねえ、なんさい?」 「同じ学校?」 「だれ先生?」 「じゃあさ、このはなし知ってる?」  ケーキを持って部屋に入ってきた母は、あまりの賑やかさに面食らったようだったが、その声は弾んでいた。 「アオ、ケーキとジュースを持ってきたわ」  いつものように何種類ものケーキが入った箱がテーブルに置かれた。 「わあ! すごーい! ゴーカすぎる!」  麗が叫んだ。 「“アオくん”はどのケーキがすきなの?」  麦が、母親が呼んだ愛称を拾って聞いてくれた。 「あ、ぼくはいちご以外なら……」  愛称で呼ばれ照れ臭かったが、急に距離が縮まったようで嬉しかった。 「えーいちごが苦手なんてめずらしいね。じゃあ、いちごもーらい!」 「わ、れいちゃん! じゃんけんだよ、じゃんけん!」 「ちょっとちょっとよく見て! いちごのってるケーキいくつもあるから」 「ほんとだ。ははは」 「はははじゃないよ、まったく、むーちゃんは食いしんぼうなんだから」 「れいちゃんに言われたくないよ」  ふたりはケンカをするわけでもなく言いたいことを言い合っていた。そしてそのノリは当たり前に碧にも向けられた。  その日から麦と麗は学校の帰りや休日に碧の家に寄るようになった。  日によって遊び方は違うが三人で楽しめることをして過ごした。 「アオくんのはそっちだよ!」  ふたりはぼんやりしか見えない碧にも遠慮はなかった。 「そっちってどっち?」  だから碧も気兼ねなく聞いた。 「これこれ」  手を掴んで握らせてくれる。  そんな風に重ねる日々の中、無情にも碧の視界はどんどん狭くなっていた。ぼんやりと見えていたふたりの顔にも靄がかかり、目を凝らすことが多くなった。完全に見えなくなるのはいつだろうと、それを想像すると気が狂いそうに怖くなった。  親は碧のために渡米を選択した。 「がんばれなくなったら、お母さんにたのんで手紙を書くよ」  子供だった三人には連絡手段が限られていた。 「がんばってても書いて! どうでもいいこともだよ!」  麦がすぐに反応した。 「これ、うちらの住所だからね。なくしちゃだめだからね」  手の中に折り畳まれた紙を握らせてくれた。 「うん。ぜったいなくさない。着いたらすぐに書くよ。ぼくの住所も教えたいし」 「ねえねえ、うちらエーゴよめる?」  麗の心配は当然のことだ。 「……」  無理強いできず口籠ると麦がすかさず言った。 「エーゴで書くのは住所だけでいいってうちのママが言ってたよ。だからアオくんママが書いてくれるとおりに、ゆっくりまちがわないで書けばだいじょうぶ! ちょうせんしてみよっ、れいちゃん!」  麦はどこまでも真っ直ぐで、勇敢で、皆を元気にした。そんな麦に特別な感情を持つのは自然なことだった。
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