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「―――むーちゃんも犬派だったよね」
噛み合わない会話もそうだが、思い出のひとつも口にしない『むーちゃん』に違和感を覚えた。そもそも碧の知っている麦は質問をはぐらかしたりしない。
碧は『むーちゃん』と会話をしながらも素早く記憶を整理した。
いくら年数が経ったとはいえ、ここまで性格が変わることがあるのだろうか。麗から聞いた麦の現在の様子ともまったく違う。だが『むーちゃん』と呼びかけた声に自然と振り返ったし……。
もしかして麦の姉か妹? ――そんな話は聞いたことがない。それにもし麦じゃないとしたら、自分を『アオくん』と認識するだろうか。目のことも知っていたのに……。
ということはこの女は自分の知っている『むーちゃん』で間違いないのか?
……いや、そんなわけない。
自分自身に何度も問いかけ、打消し、碧は結論に至った。
自分の直感が“違う”と言っているのだ。
――むーちゃんも犬派だったよね
碧は慎重に仕掛けた。
犬が苦手だったのは自分だ。『むーちゃんも』と問いかければ突っ込んでくるはずだ。
「犬は可愛いもんね」
「……」
にこにこする『むーちゃん』に、碧も仮面を付けたまま笑う。
「むーちゃん、いちごパイは食べないの?」
「えっと、ダイエット中だし私は遠慮しておくね。アオくん、食べる? 注文しようか?」
「……」
碧は閉じた唇で笑いかける。
麦であれば、碧がいちごを苦手なことぐらい覚えているはずだ。
――間違いない。この女は麦じゃない。
『むーちゃん』と別れてからすぐに麗にメールした。
【今日、むーちゃんに会ったよ】
【わお! なんとまあ素早い行動で】
冷やかしの言葉は受け取れなかった。
【うん? なんか悩んでる?】
【まるで別人だったからさ】――すかさず打つ。
【今電話大丈夫?】
【……いいよ】
「『むーちゃん』の偽物がいる」
碧は、さきほどの違和感と会話、様子をくまなく伝えた。麦を否定されるのかと身構えていただろう麗の声が、だんだんと探るような声色になってきた。
「ねえ、その子の髪の毛、長さどのくらい?」
「胸の下ぐらい、だったかな」
「“こっち”のむーちゃんは肩につくかつかないかぐらいの長さだよ。ネイルとかしてた?」
「してた。桜かなんかの絵が描いてあった」
『むーちゃん』を脳裏に呼ぶ。桜色の爪で顔にかかった長い髪をなぞり、ジュースのストローをもてあそんでいた。
「その子と会ったのって今から二時間前ぐらい?」
「だいたいそのくらいだったと思う」
「じゃあ、むーちゃんがウィッグ付けて着替えてネイルして、なんて時間はないね。そもそも二時間前だったらちょうどバイトあがった時間だし」
「……やっぱりな」
皮膚の下が冷える感覚があった。
「むーちゃんに姉妹がいたんだね、聞いたことないけど」
「俺も、知らなかった」
麗の声は不満気だった。麦に姉妹がいたことをお互い知らなかったのだから感情的には割り切れない。
「――だとしてもさ、それでもへんだよ」
麗の言葉に碧も同意する。
「私らのこと知ってるのは、むーちゃんが話したってことで解決したとしても」
碧はその先の言葉を先回りする。
「むーちゃんのふりをする必要はないよな」
「だよね。なんか気味が悪いよ」
「ああ」
自分が麦であると思わせようとしていた――その異常な行為から、悪意以外の感情をみつけるほうが難しい。いったい何を企んで嘘をついているのか。
「で? そっちのむーちゃんとこれからも会うの?」
「そうしようかと思ってる。何の目的があってむーちゃんのふりをしてるのか確かめないと」
「じゃあ私もむーちゃんにさりげなく『家族の話』振ってみるわ」
「よろしく」
「お互い情報を共有していこう」
そう約束し、碧は『むーちゃん』とのやりとりを、麗は麦の様子や会話の中身を定期的に報告し合うことになった。
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