50人が本棚に入れています
本棚に追加
進級で同じクラスになった池田さんは、活発で正義感が強く、教室でひとりになっている生徒を放っておけない女の子だった。以前、似たようなタイプの同級生に心を許しその結果、睦美の側に付かれてしまった経験があった私は、彼女と距離を詰めないよう注意していた。けれど根気強く関わってくれる池田さんに、――ほんのちょっとだけ、いいよね……? と近づいてしまった。人恋しかった。
「私、本当はね、池田さんに『宮原さんと仲良くしない方がいい』って忠告しようと思ってたの。私のようになるよって」
「……うん」
「下駄箱に手紙入れようと思ったの。でもそこで見ちゃったんだ。池田さんのスニーカーの底にカッターナイフで切り込み入れてた宮原さんのお姉さんのこと」
「……」
競技大会の日だった。俊足だった池田さんはクラス対抗リレーのアンカーだった。けれどゴールテープを目前にして池田さんは転倒し大怪我をした。後に睦美は私に言った。
――麦ちゃんの本性教えてあげたのに彼女煮え切らないから、天罰が下ったんだね。あ、でも彼女が怪我したのは私のせいじゃないよ。靴底がめくれる日がリレー当日になるなんて計算できるはずないじゃん。
「私、自分が目撃したことちゃんと話そうと思った。だけどあっという間に『犯人は宮原さんだ』ってことになっていって、違うのに! って。でも宮原さん、黙ってて。それで私、気が付いたの」
古橋さんは確信を込めて口にした。
「私の時も、本当の犯人は宮原さんのお姉さんなんだって」
「……」
私の体内に溜まりに溜まっていた重い靄が一気に引いていった。あまりに急激なそれに肩から、頭から、腕から、力が抜けていく。両手でテーブルに掴んだ。
「……なのに、今まで言い出せなくて、ごめん」
古橋さんの謝罪の意味が、今ようやく分かった。私は左右に強く首を振る。
「古橋さんが謝る理由なんて、全然ないから」
「私、弱かった。そして、宮原さんのお姉さんが、怖かった。もう、関わりたくなかった」
「うん」
当然だ。
すべてを知った今、私も睦美のことが空恐ろしい。得体の知れない生物みたいに感じている。そんな人間と関わるなんて他人ならなおさら……。
「私、お母さんのこともあって他の高校を受験したんだけど」
「うん」
知っている。申し訳なく思う一方で、別の世界へ行ける古橋さんが羨ましかった。
「友達もたくさんできて、カレシもできて、暗かった中学時代が嘘みたいに毎日楽しくて。でもね、時々、宮原さん大丈夫かな、って、あの環境から逃げられないのはなんでなんだろうって考えて」
涙が勝手に溢れてきた。私たちの上に流れた月日と同じだけ、睦美に許しを乞い、耐え続けてきたのに、そのすべてが無意味だったのだ。
「なにか、事情があるんでしょう?」
「……うん」
私は一度呼吸を整え、これまでのことを話した。睦美の胸元に傷痕を残すほどの怪我をさせてしまった代償として、睦美の言いなりになっていたこと。だけども睦美にはそもそも傷痕なんて存在しなかったこと。
「私、ばかだった。視野が狭くて、誰にも相談できなくて睦美だけを信じてた。悔やんでも悔やみきれない」
「……」
古橋さんは私の告白の初めから両手で口元を抑えていた。恐怖が張り付いたような目は何度も瞬きを繰り返していた。
「……ごめん、想像もしてなくて、言葉が……出てこなくて」
古橋さんの声は震えていた。
「怖がらせて、ごめんね、古橋さん、もしも重荷を背負わせてしまったならごめんね」
打ち明けたことが正しかったのか自信がなくなっていた。だけども味方でいてほしかった。身勝手かもしれないが、一時心を通わせた大好きだった友達に事情を知ってほしかった。
「……」
「……話してくれて、ありがとう」
古橋さんはじっとしている私の前で、深い呼吸をした。
「なんでそんな恐ろしいことができるんだろう、おかしいよ。……宮原さんのお姉さんなのにごめん。だけどなぜ自分の妹をここまで苦しめるのか理解できない」
私も、そう思う。家族なのになぜ、と。
「私が探ってみてもいいかな?」
「え? それはどういう……」
一瞬、聞き間違えたのかと思った。けれど古橋さんははっきりと口にした。
「正確にいうと、彼の友達に頼もうかと思って」
「彼……、あ、古橋さんの恋人の?」
「うん。そういうことが得意な人を知ってるの。だから、任せてもらっていいかな?」
「古橋さんが、危険な目に遭ったりしない?」
「それは大丈夫。分かり次第、また連絡するからね」
「……うん、ありがとう」
この時の私は、ただ、古橋さんの気持ちが嬉しかった。睦美のことを探ると言っても、姉と一つ屋根の下で暮らしている自分以上の情報などそうそうないと思ってもいた。
「池田さんにもこのこと話すんでしょう?」
「うん、そのつもり」
「一緒に行ってもいい?」
「!」
そうしてくれたらもちろん心強い。
「実は私もね、池田さんのこと見て見ぬふりしちゃったことずっと引っかかってた。自己満足だろうけど、そのこと謝りたいの」
「……古橋さん、一緒に、行こう」
その気持ちは、私が誰よりも理解できた。
次の日、池田さんに断りを入れて三人で会った。
最初のコメントを投稿しよう!