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足が止まった私の横で、麗が「おーい、アオくん」と碧にむかって手を振った。
「行こ!」
麗に腕を取られ絡まる足を前に出した。
「一本見送ったよ」
「ごめんごめん、むーちゃんを可愛くするのに集中してたら時間過ぎてた」
「じゃあしょうがないか。――むーちゃん、ひさしぶり」
「……!」
ひとり、この展開について行けていない私の目の前には、ずっと会いたかった碧―――
「むーちゃん、ごめん、アオくんも一緒でいい?」
「へ……、あ、! え? な、なに、なんて?」
麗の声に現実を直視する。
「だから、この旅行みんなで行こうよ」
「えっ、あ、みんなで……」
飛び出すかと思うほどの激しい鼓動と、勝手に熱くなっていく肌、視界の眩しさにくらくらしながら、私は辛うじて頷いた。
「突然合流してごめん」
その声に碧を見上げる。
「う、ううん、全然っ」
……アオくん背が伸びた……
大人になった碧を前にすると、流れた時間の長さに感傷的な気持ちになった。
「どう、むーちゃん、私のサプライズ。びっくりした?」
得意気に顎をあげた麗に、私は少し唇を尖らせて照れた頬を隠した。
「教えてくれたら心の準備したのに」
「えー? なんだって?」
私の小声は新幹線のアナウンスにかき消された。
「並ぼう!」
自由席の切符を持った私たちは早足で列に入る。そしてまた向き合う。
「今日は三人で、時間を忘れて喋り倒そうね!」
麗の言葉に心が躍った。
――昨夜一階に降りようとして、睦美が『明日、大学の友達と温泉旅行にいってくるね』と母に言っているのが聞こえた。
……!
まさかアオくんと?
黒い感情が波立った。……だが、もしそうでも、このタイミングを作ってくれたことに感謝しなければ……一晩かけて無理矢理気持ちを切り替え、睦美が家を出た後で母に近づいた。
「今日、お姉ちゃん帰ってこないんだよね。私も友達の家に泊まりに行くから」
「え?」
母は、私の外泊に動揺したようだった。だが睦美を送り出した手前、私にだけ許可しないわけにはいかなかった。
「あと、お姉ちゃんにはこのこと言わないでほしい」
「……どうして?」
「どうしても」
「……」
母は床に泳がせた目をふいに上げた。じいっと私を見る。
「麦、今度ママとふたりきりで出掛けない?」
「!」
私は随分昔に睦美に言われて『ママ』から『お母さん』に呼び方を変えていた。直接呼びかけることはほとんどなかったけれど、睦美との会話では『お母さん』で統一してきた。そのことを母も知っているはずだった。
「……なんで?」
慎重に尋ねた。
「急に、どうしたの……」
「麦がこんな風にママの目をしっかり見てくれたのもひさしぶりだから、もしかしたらまた、前みたいに戻れるのかなって思って」
「……」
遠い存在だった母が急に、自分と同じ人に思えた。……そう感じたことが意外で、そのことによって自分の視野がほんの少し広がっていることを自覚できた。
「私もママに話があるよ。だからいつか、ふたりだけで行こう」
睦美のことで伝えなきゃいけないのは私の方だから。
「ほんとう?」
母の目にじわりと涙が滲んで、それを見ていたらつられそうになり視線を外す。
「うん。だからこの会話もふたりの秘密で」
「わかったわ」
そうして私は静かに家を出てきた。
「まずはアオくん、これまでのこと教えなさい」
「教えなさい」
泣きそうな母の顔を振り払い、麗と共に碧を急かす。
「俺がトップバッターか」
「当然じゃん、最初にいなくなった人からだよ、ね、むーちゃん」
「そうだね」
睦美の旅行の相手が碧じゃないことが嬉しく、懐かしい空気間が心地よかった。
「なるほど」
納得してない顔で了承する碧の子供っぽい表情が昔の記憶と重なる。
「むこうに渡って、大きな手術を2度したんだ。その後は日本に戻ってきて父さんの―――」
「ちょ、ちょっと待った!」
麗が碧の話を遮った。「日本に戻ってきてたの? いつ?」
私たちは二人揃って碧の口元に視線を向けた。
「実はさ……」
それから碧は北海道での両親との暮らし、牧場の手伝い、時々長い入院生活を送ったこと、そのため通信制の学校に行ったことを話してくれた。途中、新幹線が到着し、三人で座れるシートに乗り込み、また話の続きに戻る。
動物に携わる仕事に就くため専門学校へ通い、ひとりで暮らし始めたこと、その生活で初めて人並みな青春時代を送ったこと。
「ふたりに会うのは治療とリハビリが終わって、自分の人生設計のスタートを切ってからと決めてた」
「勝手に決めないでよ」
「ちょっとみずくさい」
麗に続いて、私も不満を口にした。
ひとりで頑張らなくてもよかったのに。辛く、苦しい時に頼ってほしかったのに。励ましたかったのに。
「うん。今は反省してるよ。プライドなんかいらなかったって」
「!」
「!」
素直な碧に、私と麗は顔を見合わせる。
「まあ、反省してるなら許してあげるか」
「そうだね」
私たちの結論に碧が破顔した。
「じゃあ、次はれいちゃんだね」
麗はシートから身を起こした。わざと咳ばらいをひとつする。
「コホン、私の過去もなかなか大変だったよ」
そして私と再会した時に話してくれた過去を碧にも話した。
「ほんとだ、けっこう苦労したんだね」
碧は、貧困時代の節約話に興味津々のようだった。
「でも今は逆転して、これでも『社長令嬢』だからねッ」
どうだ! という鼻息を吐き出した麗に私も碧も拍手で称えた。
「最後は、むーちゃん!」
麗の報告が終わり、私の番になった。
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