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1.懐かしい友達
麗の、「終わったらお茶しよ!」という言葉に乗って、私はあっさり門限を破った。親に叱られても今日のこの再会に水を差したくなかった。なにより麗とまた会えたことが嬉しくて、離れがたかった。
近くのコーヒーショップで、麗は引っ越した後のことを話してくれた。
生活苦から母親の実家である香川県へ一家で移り住み、祖母が細々と営んでいた家業のうどん屋を両親が引き継いだこと。立て直すだけじゃなく人気店にして店舗を増やしたこと。それでも東京でリベンジしたい――という両親の野望があり、三年前に父だけが単身で上京したこと。麗が高校を卒業したら家族で東京へ戻ろうという目標を掲げ、それが実現したこと。
「昔さ、むーちゃんがママの作ったうどんを『美味しい美味しい』って食べてくれたじゃん。“むーちゃんの反応”が我が家の転機になったよねって、今でも家族で話すことあるんだよ」
「そ、そっかあ」
自分の知らないところで誰かの人生に影響を与えていたことが、照れくさくて嬉しかった。
「ってことは! 子供の頃に食べたあのうどんが『琴乃』で食べられる?」
時間差で気づき、興奮する。麗はへへへ、と笑いながら「あの頃よりもっと美味しいと思うけどね」と鼻先を指で擦った。
「ママも会いたがってるから、近いうちに家に遊びに来てよね」
「もちろん」
本気で、ワクワクしてきた。
「履歴書の中にむーちゃんの名前みつけたとき、二度見した」
「私の履歴書?」
「ちなみに私は『フロアの教育』担当なんだ」
「すごいね、私と同じ年なのに」
お世辞でも嫌味でもなかった。役職と麗の大人びた雰囲気には違和感がなかった。
「中学生から手伝ってたからね。人雇う余裕もなかったし、即戦力にならざるを得なかった。ちなみに厨房の仕事は私の管轄外だから」
「そうなんだ」
「私はメニューの説明とか、レジとか接客とか、そういうこと教える役目なのさ。むーちゃんがフロアに移りたくなったらいつでも言ってよ。そっちの方が時給も高いし」
「う、うん……」
昔の自分を知っている友達に、人と関わるのが苦手だと言える空気ではなかった。
「でも会えてよかった。こっちに戻ったら、いつかむーちゃんを訪ねようと思ってたから」
「私のこと、覚えててくれただけでも、嬉しい」
「あったりまえじゃん! むーちゃんは私のこと忘れてたの?」
「忘れるわけない! だけど手紙の返事……」
バッグの中で携帯がメールを受信した。
私は慌てて取り出す。
案の定、門限が過ぎたことを心配した母からだった。
「ごめん、れいちゃん。私、帰らないと……」
後ろ髪を引かれながら謝った。
「そうだね、もう遅い時間だったね」
麗も時計を見た。
まだまだ話し足りないが、麗とこの先も会えると知った今、親の機嫌を損ねたら良くないと冷静になった。バイトを禁止されてしまったら元も子もない。
「ごめんね」
先に立ち上がってくれた麗に続いた。
椅子をきれいに戻し、店を出た。駅までの道で、またお喋りをする。
“現実”に戻るまでの数十分、きらきらと眩い麗との会話を宝物のように心に閉じ込める。そして、このことは絶対に睦美には内緒にしなければ、とも思った。
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