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私は仕事中だということも忘れ、皿洗いの手を止めて麗に向き直っていた。麗は私が出しっぱなしにしていた水道の蛇口を笑いながら止めた。
「何度か手術をして、今は日常生活が送れるようになったんだって。あれからしばらく音沙汰なかったけど、少し前にまたハガキが来て帰国するって書いてあったよ」
「……手術成功してよかった。ずっと心配してたんだ」
喉元が一瞬、詰まった。
「……」
麗には近況を報告していたと知り寂しさは隠せなかったが、碧の目が見えるようになったことは嬉しかった。
「れいちゃんもアオくんも、私にとって本当に大切な存在だったからさ」
ふたりが元気だったならいい――そう思い直し、複雑な感情に蓋をした。麗が考え込むような顔つきになった。
「あのさあ、もしかしてと思ったんだけど」
「うん?」
「うちらの手紙って届いてた?」
「?」
一瞬、意味が分からなかった。
「私は中学の途中まで手紙も年賀状もしつこく出してたし、そこに一方的な報告とか書いてて、だから『琴乃』って店名から察してむーちゃんがバイトにきてくれたんだなって思ってたんだよね。けど違うみたいだし」
「え……」
「アオくんも、お母さんの代筆でむーちゃんに何度も手紙出したって聞いたけど」
「!」
動揺のまま、青褪めた。
「私、知らない。……ふたりから、手紙が届いたことない。ほんと、だもの」
唇が勝手に訴える。
「れいちゃんからもアオくんからも手紙が届くのずっと待ってた。でも来なかったから……」
今日まで、ふたりには忘れられてしまったと思い込んで生きてきた。それでも、大切な思い出として胸に抱いて生きてきた。
「そっかあ」
麗は斜め上を見ながら唸った。
「アオくんがさ、私たちが時間差で引っ越して行っちゃったからむーちゃんは寂しくて、で、怒って返事くれないんじゃないかって言っててさ」
「そんなこと! もちろん寂しかったけどでも怒るとか、そんなのありえないよ」
麗が難しい顔をした。
「そうなると考えられるのは、家族がわざと手紙を渡さなかった、ってあたりかな」
「……」
「むーちゃんの親、お医者さんだし、娘の付き合う友達を選びたかったのかもしれないよ」
「そんなはずない。うちの親は私のことはあきらめ……」
脇から、お願いしまーす、という声と共にシンクの中に洗い物が追加された。麗がてきぱきと捌きはじめ、私も我に返る。
「……」
そこからは無言で仕事をした。けれど頭の中はぐるぐる――、疑心暗鬼な感情が渦を巻き、仕事に集中できなかった。
勤務時間が終わり、麗に「お疲れ様」と労われた。
私は泣き笑いのような恰好になり、それを意識したら本当に涙が滲んできた。
「こうして再会できたし、いいよいいよ」
「うん。――そう、だね」
私は不格好な笑顔で頷く。今更悔いても嘆いても、失った時間は戻らない。
「これでアオくんとも会えるね」
「あ、でも、……怒って、ないかな」
「それを心配してるのはアオくんの方だろうけど、とりあえず事情も事情だから私から経緯説明しとくよ」
麗が提案してくれ、ずるいけれど私はほっとした。
しんみりした私に麗が「ん?」という表情をした。つられて「ん?」と返す。
「ちょっと待って。アオくんだけじゃなくてむーちゃんにとってもあいつが初恋なの?」
「えっ!」
途端に赤面して、言わずともバレてしまった。
「なんだ! そうだったんだ! 早く言ってえ」
「いや、あの、それは……」
「よし。私にまかせて」
胸を叩く麗に慌てるが、時すでに遅しだった。……どうかアオくんの迷惑になりませんように。
心の中で祈った。
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