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そんな日々が続き、夏休みも残り数日となったあの日――
私たちは丘の上の広場で遊んでいた。
「あの……、あぶないから、下りた方が」
「むつみちゃんもおいでよ。足、ひっかけるところあるでしょ」
私は登った木の上から手を振った。
ようやく口をきいてくれるようになっても、睦美は変わらず思いつめたような遠慮するような、神経質な表情を向けていた。
「そんなに高くないよ。遠くまで見えてきもちいいよ!」
睦美に早く打ち解けてほしい、その一心だった。私は睦美に手を差し出した。
「ここにすわれるよ。太い木だからだいじょうぶ! さあ」
麗とよく並んで座った特別な場所を睦美に教えてあげるのだと、なぜなら君は私のお姉ちゃんだから――。
そんな風に、私は私の世界を、私の手の中にある大切なものを残らず睦美にひらいて与え続けた。
「あっ!」
躊躇する睦美に必死に手を伸ばしたせいかバランスを崩した。一瞬の出来事だった。落ちる――っ!
思わず目をつぶった。地面に叩きつけられた音が先か、痛みがきたのが先か、とにかくこれまでに経験したことのない衝撃が体を襲った。どのくらいの時間、気を失っていたのかは分からない。次に私の意識が動いた時、倒れている睦美が目に入った。
「むつみちゃんっ、いたっ――」
慌てて動いた瞬間、体中がズキズキズキズキと波打ちあまりの激痛に勝手に涙が出てきた。
「いたいっ、いたいようっ」
私は泣きながらも睦美に向かって這った。
「むつみちゃ、ん、どうしたの、むつみ、ちゃん」
睦美を揺り動かそうとしたが両手に力が入らなかった。
「ま、待って、て、だれか、呼んでく、る」
火が付いたような全身の痛みに悲鳴を上げながら私は必死に這った。人がいる方へ、とにかく這った。
「たすけてくだっ、さいっ、あっち――あ、っち」
私は泣きながら助けを求めた。誰かが駆け寄ってきた気配があった。知っている顔だった。
「麦ちゃんっ? どうしたのっ?」
――よかった、助けを呼べた……
その安堵と強烈な痛みとで私は気を失い、目が覚めたら病院のベッドの上にいた。
――はっ、と息を吸った。
「麦! 気がついた?」
すぐ近くに母がいた。
「もうっ、心配したんだからね。“おてんば”はたいがいにしてよ」
私は全身打撲だった。幸い骨折も怪我もしていなかったという。きょろきょろしていると母が気を利かせて言った。
「パパは夜勤だからあとから来るからね」
「ママ……むつみちゃんは?」
「大丈夫よ、お家にいるから」
「え? むつみちゃんはけがしなかったの」
「木登りして落ちたのは麦でしょう?」
「……そっか。……そうだよね」
強い痛み止め薬のせいか頭が朦朧としていた。睦美が倒れていたのは自分の勘違いだったのかもしれない、それとも夢を見ていたのだろうか、どちらにしても睦美に怪我がなくてよかった――そんな風に安心して、私は数日後に退院した。
「むつみちゃん、ただいま!」
帰宅してすぐに睦美の部屋をノックした。心配していると思ったのだ。
「入るよ」
ドアを開けると、睦美は軽蔑のこもった眼差しを向けてきた。
「……むつみちゃん?」
「私、落ちてきた麦ちゃんのしたじきになったんだよ」
「!」
睦美がよどみなく低い声で話すのを、この日初めて聞いた。
「麦ちゃんが私をみすてにげたから、私はあそこでずっとたおれたままだった」
「……うそ」
血の気が引いた。と同時にあの日の記憶が鮮明に戻ってきた。
「むつみちゃん、けがしたの? どこ? だいじょうぶなのっ?」
「麦ちゃんが落ちてくるとき私の心ぞうをおもいっきりけったの」
「心ぞうをっ?!」
「昨日までいたくていたくて、ねむれなかった」
「パパとママには言ったっ? パパ、お医者さんだからなおしてもらおうっ!」
図らずも引っ掻いたような自分の声で事の重大さに気づく。
「パパとママ、呼んでくるっ」
だが睦美に跳ね返された。
「やめて! そんなことしたら死んでやるから」
「えっ? 死ぬ、って、なんで……」
「あの人たちにめんどうな子って思われたくない私のきもちなんて、麦ちゃんにはわからないよ」
「……」
両親を『あの人たち』と呼んだ睦美に言葉が出なくなった。
「私、どうしたら、いい……?」
息苦しさのまま、答えを求めた。睦美は私を睨みつけながらてのひらで胸元を押さえた。
「つぐなって。私の“ここ”にみにくいキズを付けたせきにん取ってよ」
「キズ……ひどいの……?」
「赤黒くふくれあがってる!」
「ごめん……むつみちゃん、ごめん」
「あやまらなくてもいいからつぐなって!」
「……うん、わかった、だから、ごめん、むつみちゃん、ごめん」
“つぐなう”ということがどういうことかも分からずに、私は睦美に取り縋った。
【1.終わり】
~2.は睦美視点です~
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