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8.血痕
廊下に出ると不意に涙が溢れた。幼き少女の命が軽く摘み取られたことに対してか、それとも視える人間の苦悩が直接心に刻まれたからか。理由はわからない。
しかし立ち止まってはいられない。
涙を拭って再び指輪を填めたところ、廊下に点々と続く先ほどまではなかった血痕が視えた。血痕は隣の部屋から始まり、階段へと続いている。
隣の部屋のドアノブに手をかけると再び頭痛に襲われた。この頭痛は危険な思念を受信する前の警鐘なのだろう。
頭痛を堪えながらドアを開けると、むっと血の臭いが流れ出てきた。しかし先ほどの部屋よりは濃度が低い気がする。床には決して少なくはない量の血だまりが視えるが、動ける状態だったのか外へと血痕が続いており、被害者の姿はない。
(隣の部屋の凶行に気づいたのか、この部屋の主は父親から逃げようとしたんだな)
血痕を追って廊下に出ると、赤い染みが階下まで点々と続いている。実際はないはずの染みだが踏まないように慎重に階段を下りる。逃げていたという推理は的を射ていたようで、血痕はさらに玄関へと続いている。
さらに玄関へと歩を進めていたその時、纏わりつくような濃密な負の気配を感じた。
「うわぁっ!」
強烈な威圧感に思わず叫び声を上げ、バッと振り返る。
目の前には薄暗い長い廊下が続いているだけで、何の姿形もない。だが
不快な気配は確実に近くにあり、外へ出るなとばかりに私の心を圧迫し続けてくる。
親指に填めた指輪をギュッと握り、意志を強く持ち直して目の前を見据える。すると突き当たりの戸の奥から先ほどとは別の気配が感じられ、ここを見ろと言わんばかりのプレッシャーが伝わってきた。
1歩進むごとに血の臭いが濃くなっていく。おそらくは突き当たりの戸の先にも惨たらしい光景が広がっているのだろう。戸はもう目の前、3度目の頭痛に耐えながら一気に戸を開いた。
今までで1番濃い血の臭いを感じたが、開いた先の脱衣場には血の形跡がない。となると臭いの源は曇りガラスの扉の奥、浴室からだろう。
指輪を外すと視えなくなるだろう古い洗濯機の上には、几帳面に畳まれたパジャマが置いてあり、脱衣カゴには大きめの衣服が無造作に入れられている。
(早く終わらせよう)
あまりの血生臭さに吐き気を堪えるのが難しくなり、曇りガラスの扉をやや乱暴に開く。
噎せ返るほどの血の臭いが流れ出し、浴室に広がる惨状を目にした瞬間、佐藤氏の言葉を思い出した。
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