プロローグ

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 その日最後のカウンセリング終了間際、来所時より幾分顔色が良くなった相談者が尋ねてきた。 「どうして【坂本心霊相談所】って名前なんですか?」  名刺と私を交互に見ながら、好奇心に目を光らせる相談者。【坂本心霊相談所】という社名なのに、『坂本』ではなく『視世陽木(みせはるき)』と印字されているのが不思議なのだろう。 「よく聞かれるけど特におもしろい話ではないよ。ここを立ち上げたのが私の友人で、坂本って苗字だっただけさ」  苦笑しながら答える私が所長代理を勤める【坂本心霊相談所】は、大学時代からの友人『坂本朔(さかもとさく)』が10年前に設立した会社だ。 設立時は当然坂本が所長を勤めていたが、故あって5年前から私が所長代理として引き継いでいる。  心霊相談所という看板を掲げているのだから、さぞかしミステリアスな事情があるのだろうと想像していたのだろう、あまりに平凡な回答に「ふ〜ん」とつまらなそうに漏らした。  相談者が帰るのを見届けた後、深く追及されなかったことに安堵しながら、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口啜る。 「……なぁ、お前はどこにいるんだよ?」  壁に飾られた、事務所を構えた際に「記念撮影だ!」と言われて無理矢理撮られた写真に語りかける。もちろん返事はない。  坂本朔は5年前に失踪した。  5年前のあの日、ソファーでだらしなく寝ているいつもの姿がなく、事務机の上に1枚の紙切れが残されていた。 『後は任せた』  一文、それだけ書かれていた。すぐに電話をかけるも繋がらず、未だ定期的に送り続けているメールにも一度も返事がない。  日本では、不在者の生死が7年間明らかでない時、不在者を法律上死亡したものと見做すことができる。このまま行方不明状態が続き、必要手続きを取れば二年後には坂本は死亡したものとして扱われることになる。  だからこそ私は所長代理として心霊相談を受け、焦りを感じながらも親友を見つける糸口を探り続けていた。  確たる証拠はないが予感している。  親友の失踪が心霊がらみであることを。  ドイツの哲学者・フリードリヒ=ニーチェは、自書『善悪の彼岸』(原題:Jenseits von Gut und Böse)の第146節に記した。 『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ(Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.)』  すっかり有名になったミームだ。  親友が堕ちた先が深淵であるなら、覗き返されようが深淵を覗かなければならない。 「幽霊だろうが怪物だろうが、戦ってやるさ」  深淵を覗く時~という一文は広く普及したが、直前の文章を知る人間は多くない。 『怪物と戦う時は、自らも怪物にならぬよう心せよ(Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird.)』  5年前の誓いを未だ果たすことができず、タイムリミットは2年を切ろうとしていた。
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