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8.悲劇
「私がどこにいたかはご存知で?」
「都市伝説程度しか話が残ってないけど、噂が本当なら稲生町の山奥の洋館だと聞いている」
「間違いありませんわ。私はそこで生まれたのです」
「ということは、お前は人形職人の作品の1つなのか」
訳知り顔で相槌を打つと、彼女は「半分正解で半分不正解といったところでしょうか」と笑った。
「どういうことだ?」
「確かに体となるこの人形は私の作品ですが、こうして話している人格は人形が形成した自我ではありませんのよ」
小難しい説明にしばし混乱したが、とある可能性が浮かんだ。
「怨念が乗り移ったのか?」
浮かんだのは世界的に有名なホラー映画で用いられた設定だったが、どうやら的を射たようで彼女は満足気に笑った。
「正解ですわ。私はあの館の主の……いえ、もはや名乗りに意味などないでしょう。どのような噂が流れているかは存じませんが、あなたが言った人形職人本人ですわ」
衝撃の告白に驚愕したが、同時にやはり噂話はあてにならないとも思った。
「お聞きください、私の身に起こった悲劇と蓄積された憎悪を」
部屋の窓ガラスにピシピシッとヒビが入るのが合図となり、許されざる昔話が語られた。
「私の父は多少名の知れた浄瑠璃に用いられる人形の職人でした」
幼い頃から父の背を見て育ち、時には手伝いをしていた彼女は、いつしか自分も人形職人になりたいと考えるようになった。
「ですが私は人形にさらなるリアルさを求めるようになりました」
そんな時、娘の機微に触れた父親が奮発してフランス人形を購入しプレゼントしてくれたという。初めて手にしたフランス人形の美しさに、彼女の欲求はさらに大きくなった。
「本当は後を継いでほしかったでしょうに、父は私が別の道を歩むことを応援してくれました」
可能な範囲で西洋の精巧な人形を買い与えてくれ、ついには留学費用まで出して背を押してくれたという。
「お陰で一廉の人形職人として独立することができました」
しかし彼女の苦労はここから始まる。
「初めは都会にお店を出していました。注文は引っ切りになしに頂くことができましたが、あまりの人気に制作が追いつかなくなりました」
客の要望に答えるために無理して制作を続けた結果、過労が祟って体を壊してしまったという。
「開店当初の人気のお陰でお金はありましたので、稲生の山奥に土地を買い、作業所を兼ねた館を建てました」
噂話の人間不信というのはデマで、実際は人気を避けただけだったのか。
山奥の館に移ってからは、自分のペースで人形を作り、馴染みの業者に買い取ってもらうという生活を送っていたという。
生活が落ち着いてしばらくした頃、唐突に地獄に叩き込まれることとなった。
「1人山奥に暮らす私に、麓の村の男が興味を持ち始めたのです」
移住してすぐ、俗世を捨てた訳あり人という噂が流れ、彼女は村人から避けられた。後にわかったことだが、彼女の美貌に嫉妬した村女が「村の男が骨抜きにされちまう!」と危惧し嘘の噂を流布したらしい。
閉鎖的な村人達が噂を信じ込んでしまったため、食料などの生活必需品を販売してもらうぐらいの必要最低限の付き合いしかなかったという。
「そんな生活が続いていたある日、1人の男が私の館を訪れました」
――猟の最中に足を挫いちまって。すまねえが少し休ませてくれねえか?
ひょこひょこと足を引きずり歩いてくる姿を工房の窓から確認していたため、彼女は善意で招き入れた。冷たい水を出し、包帯や添え木になりそうな物を男に与えた。
「水のおかわりを出すため、立ち上がって背を向けた一瞬でした。私は男に口を塞がれ、拘束されました」
汗臭い男はハアハアと息を荒げ、耳元でこう囁いた。
――最近ご無沙汰でな。抵抗したらどうなるか、わかるだろ?
男はイスに掛けられた猟銃の方を顎でしゃくりながら下半身を押し付けてきた。
「野獣のような男に半日犯され続けましたが、それで終わりではありませんでした」
以降、村の独身の男や妻との営みがなくなった男が引っ切りなしに訪れるようになったという。
「拒もうにも館の鍵という鍵は男達に壊され、隠れることすらできませんでした。買い出しの際に村の女性に打ち明けようとも考えましたが、必要最低限の付き合いしかない私の言う事を信じてくれるとは思えませんでした」
聞くだけでも胸糞悪い話であるため、彼女の恐怖や怒りや悲しみは想像を絶するものだろう。
「男達の間で何らかの協定があったのでしょう、私の行動は逐一監視されていました」
毎日誰かしらが館を訪れ、買い出し時も村の女の肩越しに監視されていたという。
館を捨てて逃げようと考えたこともあったらしいが、どこに行くにもまずは村を通らねばならず、夜といえど誰かが見張り番をしていそうで実行できなかったと言った。
「強迫観念か」
「そうです。使う気はなかったのでしょうが、男らは必ず猟銃や鋤や鍬や鎌などの武器を持参してきたので、大人しく身を差し出すほかありませんでした」
部屋のガラスがパンッと音を立てて弾け、壁や床にビシッとヒビが走った。溢れ出す彼女の憎悪が、ポルターガイスト現象となって部屋中に傷をつける。
「地獄の日々が続いたある日のことです。朝一番で村長の息子が1人で訪ねてきました」
当時の村長は強い権力を有しており、その息子は親の威を借りて好き放題遊びほうけている愚息という噂だった。嫌な予感しかしなかったが、彼女には抗うという選択肢はなかった。
「お楽しみを邪魔されてはたまらないと、村の男全員を反対側の山へやり人払いをしたと、下衆な笑みを浮かべながら言っていました」
最悪1日中犯されることを覚悟したその時、彼女の頭に考えが浮かんだ。
「彼は私が反抗しないと聞いて油断していたのか、武器となる物を持っていませんでした」
しかも他の男達は反対側の山へ行っている。
「逃げるなら今日しかない。そう思いました」
油断させるためいつものように抱かれながら、彼女は虎視眈々と隙を伺っていた。
そしてついにその時は訪れた。
何度目かになる男性の絶頂後、彼女は「水でも持ってきます」と言って台所へ向かった。
「一番大きくて鋭い包丁を手に部屋に戻りました」
包丁を手に部屋に戻る彼女。この後の自身の行為に心臓の鼓動は高鳴る一方だった。
――ガチャッ
聞き馴染みがあるいつものドアの音が妙に大きい気がしたが、意を決して部屋へと踏み込んだ。
しかし、男の姿は見当たらなかった。
「どこ?」
焦って部屋中を見回していると、背後から怒声が響いた。
――てめぇ、何してんだ!
トイレにでも行っていたのだろうか、怒り狂った様子で後ろから現れた村長の息子に飛び掛かられ、もみ合いになってしまった。
今日が最初で最後のチャンスだと必死に抵抗したが、男性の腕力には敵わず、争いの末に刃が彼女の腹部を貫くという結末に終わった。
「流れ出る血を見た彼は、自分のやったことが恐ろしくなったのか、そのまま逃げ出していきました」
込み上げた憎悪がピークを迎えたのか、ひときわ大きなヒビがビシリと壁に入った。
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