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9.誕生
人形から溢れ出る憎悪の闇に、部屋はボロボロと崩れていく。その様子に恐怖する私を見て、彼女はホホホと上品さを繕って笑った。
「あらあら、申し訳ございません。当時のことを思い出すとつい……」
相変わらず穏やかな微笑みを浮かべているが、その美しさすら私を震え上がらせるには十分だった。
「話を戻しましょう。確実に殺害するために大きな包丁を持ち出したのが仇となりました。耐えれぬ痛み、失血による朦朧とした意識、山奥の家、逃げ出した加害者と人払いされた環境。私が助かる要素は1つもありませんでしたわ」
刺された部位は炎に焼かれているかのように熱を持ち、鋭く続く痛みに苛まれながら、彼女は生を手放した。
「死ぬ間際、私の視線の先には作り上げたばかりのフランス人形、この体がありました」
「強烈な憎悪が怨念となり、人形に宿ったということか」
「おそらくそうなのでしょう。死した私が再び目を覚ました時、血に染まった自分の体を見下ろしてましたからね」
見下ろしていた場所は、完成したばかりの人形を飾っていた棚に間違いなかった。
しかし乗り移ったばかりの彼女の怨念は、定着が不完全だったようだ。体を動かすことはおろか、話すことも念を発することもできなかったという。
「次の日、村長の息子は村の大工を連れてきて信じられない行動に出ました」
「信じられない行動?」
「血に染まった床板を剥がし、私の死体を床下に埋めた後、同じような床材で塞いで何事もなかったかのよう装いました。また、1階のありとあらゆる出入り口も外から塞いでしまったのです」
彼女いわく、出入り口が塞がれた件は少し体を動かせるようになってから知ったとのことだ。人形となってなお外に出れないことに彼女が絶望し、深く胸に刻まれたからこそ、後世でふと館が現れる際、建物に出入り口がなかったのだろう。
「緘口令でも敷かれたのでしょう、しばらく人が訪れることはありませんでした。しかしこっそり様子見に来る者もいたので、その者達は私の念で呪い殺しました」
いつの間にか彼女に同情し始めた自分がいる。村人が呪い殺されたことを自業自得だと心で侮蔑する。
「村の者を呪殺し続けて幾星霜、ついに人が訪れることはなくなりました」
呪殺した人数に比例するように彼女の霊力は強まり、遠く念を発することが可能になり、ついには少しの距離であれば動くことすら可能になったという。
「長々と失礼しました。以上が私の身に起こった不幸であり、人形に宿ってまで復讐する理由ですわ」
話し終えて落ち着いたのか、ポルターガイスト現象は収まっていた。
気になったことはいくつかあるが、どうしても聞かなければならないことがある。
「ここに来る前に稲生町に行ってきた。かつての集落は潰え、都市開発が進む今日に至っても寂しい田園風景が広がる田舎町だった」
「ええ。売られゆく際、この目で確認しております」
「集落が潰えて寂れても、まだ君の復讐は終わらないのか?」
最大の疑問だった。
山奥の館で人形に乗り移った彼女は、館を訪れる村の者を呪殺し、ついには誰も来なくなったと証言した。1人また1人と男を失った村は、存亡の危機を迎えたに違いない。
それなのに未だ悲願成就できずにいる様子なのだ。
「まだなのです……」
しばしの沈黙の後、壁に1本ビシッと大きなヒビを入れて彼女は呟いた。
「私がこうなってしまった原因である、村長の息子への復讐が残っています」
「待て! お前の不幸がいつのことかはわからないが、相当昔の出来事だろう? 村長の息子なんてすでに――」
死んでいるはず、と言いかけたその時、部屋中のガラスが一斉に割れ、私を強制的に黙らせた。
「末代までの呪い、猫を殺せば七代祟るという言葉があるように、恨みという感情はそう易々と消えてはくれないのですよ」
淡々と語る人形は相変わらず穏やかな微笑みなのに、なぜか悲しそうに見えた。
「ふとした空白の時間、男達に犯された光景が蘇るのです」
人形の姿になって眠ることはなくなったものの、彼女はいまだ汗くさい不浄な獣に犯され続けているのだと苦笑する。
「呪殺した者の話によると、村長の息子は男達が次々と変死怪死することに恐れをなし、村も家族をも捨て逃げ出したそうです」
推測に過ぎないが、村長の息子は館の女主人の呪いだといち早く気づいたのではないだろうか。死ぬのは決まって男、それも館で非道な行ないをした者ばかり。自身が殺害した張本人であるが故に、恐怖は最たるもので呪殺される前になりふり構わず逃げ出したのだろう。
「よほど遠くへ逃げたのでしょう。人形となり念を操れるようになっても、彼の存在を感じることはできませんでした」
冷静に話しながらもどす黒い感情を抑えきれずにいるようだ。重苦しい空気が部屋を、いや、建物を支配している。
「子孫に罪なきことは頭では理解しておりますが、心がついていかないのです」
彼女の言葉の意味がわかってしまう。復讐は何も生まないなんて、失ったことがない者の無責任な言葉でしかないのだ。
「あの御老体、兼重といいましたか? 霊感があったあの方を利用して館を出たところまではよかったのですが、あのような封印をされるとは露程も思いませんでしたわ」
兼重氏が用いたガラスケースや荒縄、御札は高い霊力が宿っており、彼女の念程度ではどう足掻いても出られなかったらしい。長い月日閉じ込められていたため、彼女は復讐が果たせず忸怩たる思いを抱き続けていたという。
「もうよろしいですわね?」
あくまで優しく落ち着いた声色だったが、これ以上話すことはないと言わんばかりの意志を感じた。
しかし絶対に確かめなければならないことがある。
「最後にもう1つだけ」
「なんでしょうか?」
「話を始める前、お前は『呼び出した責がある』と言ったな?」
「はい」
「なぜ私を呼んだんだ?」
ここに至るまでの一連の流れの中で、呼ばれているような感覚があったのは確かだ。だが、私が選ばれた理由がわからない。
考え込んでいると、彼女はぎこちない動きでイスから飛び降りた。
「あなたが彼に連なるキーパーソンだからですわ」
「彼? ……もしや村長の――」
「ああ、そちらではありませんわ」
私の勘違いをクスクスと笑い、はっきりと言った。
「さようなら、坂本に縁を持つあなた」
「坂本だと? どういっ……」
問いただそうと足を踏み出した瞬間、これまでで一番の頭痛と息苦しさに襲われ、その場にどさりと倒れ伏した。
「私は復讐のために生まれた哀れなフランス人形」
美しいフランス人形が近づいてくる。彼女が詰めた距離に比例するように意識は薄れ、霞みゆく視界の中で最後にこんな声が残った。
「お眠りなさい、呪うまでもない儚きあなた……」
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