あいしょう、あいしょう。

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あいしょう、あいしょう。

 実のところ、そんなに結婚願望があるわけではなかった。  それでも二十七歳サラリーマンの僕が婚活アプリに手を出したのは、おばあちゃんの一言である。 『やっぱり、生きているうちに孫を抱きたいものよねぇ……』  あのセリフ、本当のところかなり残酷だという認識は彼女にあったのだろうか。  例えば、僕がものすごくブサメンで、とてもじゃないが女性にもてるどころではない人間の場合。一体どうやって結婚相手――以前に恋人を見つければいいというのか。  なんだかんだ言って、アプリやSNSなんかを使ったところで結婚できる人間なんか一握りなのである。とある婚活アプリの使用者が言っていた。人気の女性ユーザーであればあるほど“大量に申し込みが来るので結局プロフィールを読んでいる余裕などなく、顔だけで相手を判断せざるをえない”という。そう考えると、すごいイケメン以外の人間は最初から大きな枷をつけられているとしか思えない。これは、女性の方にも言えることなのかもしれないが。  もう一つ。おばあちゃんの台詞には、僕がLGBTQだったらという大前提が抜けている。カミングアウトしていないからといって、実際にそういうものではないという保証はどこにもない。むしろ、この国の状況で本当の自分を身内に告白できている人間など何人いるものやらだ。子供を作るということは、女性と結婚してセックスができるということである。僕が同性愛者だったならば、そのセリフだけで深く傷ついて心を病むかもしれない。 ――まあ、幸い僕はそうじゃないけど……それでもモヤモヤはするんだよなあ。  おばあちゃんの事が嫌いだったら気にする必要もなかっただろうが、この台詞を言った父方の祖父母には幼い頃から本当に可愛がって貰った記憶しかないのである。大好きなおばあちゃん、だからこそ台詞の不謹慎さを気にしてしまうのだ。  高校の時、同じクラスにゲイの子がいた。彼は気さくで明るく、思いやり深いイイやつだったが――叶わない恋と趣向にずっと苦しみ続けていたと知っている。僕は彼の相談に乗りながら、手助けしてやれないことにずっと悩んでいた。だからこそ、こういうことを気軽に扱っては欲しくないのだ。  恋人を作って、結婚して、子供を作ることだけが人間の幸せではない。そうしなければ一人前の男や女になれないなんて、そんな考え方は古い。ましてや、同性を愛するようになるのは何かの“勘違い”で“おかしなこと”だというのは。 ――って、おばあちゃんにもそう言ってやれたらいいんだけど。僕も結局、チキンなんだよなあ。  そういう本音を言えないまま、結局おばあちゃんの希望を叶えてあげたくて婚活アプリに登録してしまう僕も僕である。  本当は結婚願望なんてないのに、なんとなく体面を気にして――なんて。そんなの、マッチングする相手にも失礼だというのに。
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