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17世紀イタリアの小さな村
17世紀初頭、イタリアの小さな村に、ちょっとした噂になった人物がいた。
その人物はある日突然、空から降ってきたように村のコテージに住み着き、村人たちとほとんど交流しないまま年月が過ぎていった。
その人物には常に黒頭巾をかぶった年齢不詳の男が付き添っていて、村人たちはその男が従者で、その人物は実は高貴な身分で事情があって隠棲しているのではないかと憶測した。
謎の人物はほとんど家にこもっていて、たまに頭巾の男に伴われて外を散歩した。
頭巾の男は一人で出かけたり家の周囲の畑で作物を作ったりしていたので、好奇心にそそのかされた村人が頭巾の男に話しかけたことがあった。
好奇心旺盛な村人に対し、頭巾の男は、最初は何も答えようとしなかった。しかし村人は男の冷ややかな態度にもめげず、固い口をこじ開けるようにしてようやくわずかな情報を聞き出した。
それによると、彼らはイタリアの町から来た。詳しい身分などは理由があって話せない。ご主人は少々心を病んでいるので、療養が目的。近寄ったりせず、そっとしておいてほしい。自分たちも村に迷惑などかけるつもりはない。
ということだった。
こうして黒頭巾の男が言ったように、彼らは波風一つ立てることなく、村人たちと距離を置いて過ごした。
特に事件もなく単調な村にふさわしく、彼らは軋みも立てずに歳月をやり過ごしていった。
頭巾の男はともかく、その「ご主人」のヒゲをたくわえる等の風貌の変化から、月日の流れを読み取ることができた。
彼らに対する村人たちの興味も年月とともに薄れて行ったが、彼らの正体は謎のまま、石像のように固まって村人たちの心の隅に存在した。
「主人」は言葉をしゃべることは滅多になかったが、時折奇声を発して村人たちの耳をそばだたせた。
常の影のように寄り添う従者は慌てることなく、主人に小声で何か囁きかけ、奇声もマントで覆い隠すようにさりげなく取り繕った。
村人は従者が主人に「レオ様」と呼びかけるのを何回か耳にし、それがおそらく主人の名前なのだろうと結論した。
レオ様には、お気に入りの場所があった。
それは村はずれにある小高い丘で、15分ほど登ると頂上に着ける。
頂上からは遠くの山や村の森や畑が見渡せて気持ちがよいのだが、レオ様が多い時は週に3,4日はそこへ行くので、村人たちは遠慮して近寄らなくなった。
従者にレオ様をそっとしておいてほしいと頼まれていたからでもあるが、レオ様の様子が明らかに正常ではなく気味が悪かったせいもあった。
たまに従者が用事で出かけている時に、一人で家を抜け出して丘の上に行くことがあり、その時に目撃した村人の証言によると、レオ様はうす笑いを浮かべて何かを独り言のように呟いているというのだった。
そっと様子を窺った村人は、レオ様の言葉をやっとの思いで聞き取った。
それは、異次元に続く洞穴の奥から響いてくる呪文のように思えた。
「世界は回っている、地球は動いている」
立ち聞きした村人は、その言葉を村の者たちに伝えた。村人たちは一様に狐につままれたような顔をし、言葉の意味が理解できなかった。
村の中心部にはカトリック教会の建物があり、その尖塔は村人たちの心の拠り所と言わんばかりにそびえ立っていた。
村人たちは皆、信仰心が篤く、教会の教えが絶対だと妄信していた。
当時、地球は宇宙の中心で不動だとする天動説が常識で、カトリック教会もそれを支持していた。
地球が動いているなど、実感としてあり得ないと村人たちも思っていた。
それで彼らはレオ様は頭がおかしいと断定し、陰で彼のことを「フールオンザヒル」と綽名するようになった。
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