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第三話 アンナの願い
今夜のクロスター家はやけに騒がしかった。
扉を開ける音、閉める音、階段を駆け上がる音、駆け下りる音が屋敷中に響いている。
それもこれもすべて、正気を取り戻したレオンスが声を荒げながら屋敷中を駆け回っているからだ。
自宅でのレオンスは勤務中同様、無駄なことは一切口にせず、大きな声を上げることもない。レオンスの性格をよく知っている使用人たちは主に対して他愛もない話をすることもない。
そのため、クロスター家はいつも静かだった。
今日を除いて。
「アンナ、アンナッ」
レオンスは声を荒げてひたすらに一人の名を叫ぶ。
「はいはい。そんなに大きな声で叫ばなくともアンナはここにおりますよ」
随分前から屋敷中に響き渡る声で呼ばれていたというのに、さも今気づいたようなとぼけた顔でアンナが姿を現した。
レオンスの乳母であるアンナは御年65歳を迎える。
体はそれなりに衰えているが、その頭脳はクロスター家に乳母としてやってきた40年前から一切の衰え知らずだ。
レオンスが貴族社会を放棄して、師団長の責務に専念しているにもかかわらず、クロスター侯爵家が破産せずにいられるのは、レオンスが家の管理をすべてアンナに任せているからだ。
それはレオンスの父が健在の時からだった。
いわば、アンナこそがクロスター家の実質の当主といっても過言ではない。
レオンスが国王以外で頭が上がらない唯一の存在もアンナなのだ。
だからこそ、木偶の坊の呪いが解けたレオンスは瞬時にすべてを理解した。
自分の知らないところで勝手にこんなことになっている理由などアンナ以外にあり得ないと。
アンナを問い詰めようと呼び出したというのに、当のアンナは全く悪びれもない様子で主を見上げていた。
「あら坊ちゃま、じゃなくてレオンス様、おかえりさないませ。そんなに慌ててどうなさったんです?」
レオンスはアンナが喋り終える前に、アンナの顔面にリア・ルードウィンクからの手紙を突きつけた。
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