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帝都には「ハイイロ」と呼ばれる人狼が跋扈している。
彼らは、人間を襲い、欲しいままに犯し、喰らう。
特に満月の夜は凶暴性が増し、若い娘を好んで凌辱した末に無残に食い散らすため、夜が明けると惨殺された娘の亡骸が帝都中に転がることになる。
その凄惨さは撤去作業に慣れた警備隊員でも吐き気を催すほどに残虐で、彼らの非情な暴行を何とか未然に防ぐべく奔走しているが、ハイイロは俊敏で獰猛、武器をもってしても人間に勝機はほとんどない。
ハイイロは頭が良く、視力聴力嗅覚に優れ、警備隊の狙撃も機敏にかわし、罠や囮にもかからない。並外れた身体能力をもつが、特に跳躍力に長けており、一蹴りで千メートルほど飛ぶこともある。また、その爪と牙は、ひと噛みで相手を致死させるため、目を付けられたらほぼ逃げおおすことは不可能である。
そんな殺伐とした満月の夜。
帝都の歓楽街にある花街で、妓楼が燃えた。
「見てよ、あのふてぶてしい顔」
「あんなことしたっていうのに何の反省もしていない」
一昼夜燃え盛った炎は帝都最大級の高級妓楼を全焼させ、死者や負傷者も多数出した。
「泣きもしない、懺悔もしない、能面のような顔だ」
「本当に不気味な娘だよ」
放火犯として捕らえられたのは妓楼で下働きをしていた娘で、かねてから自分の待遇に不満を持ち、火を放ったのだという。親代わりの妓楼に一方的に恨みを募らせ焼失させた罪は重く、妓楼の損失は計り知れない。捕らえられた娘は、役人から火あぶりの刑を言い渡された。
「申し開きはあるか」
と問う役人に、娘は黙ったまま小さく首を横に振った。
琥珀色の瞳はただ開かれているだけで何も映しておらず、痣と埃にまみれた顔には何の表情も浮かばない。焼けて擦り切れた着物はボロボロで、あちこちにこびりついた血の跡がある。
放火したくなるような境遇だったのかもしれないと役人は思ったが、娘は何も弁解しなかった。それでは情状酌量の余地がない。
「では、刑を執行する」
娘の処刑は決まり、後ろ手に縛られた娘は、引きずるように徒刑場に連れていかれた。処刑のために作られた北大井門の頑丈な鉄柱に、娘ががんじがらめに括りつけられると、雲の切れ間から漏れ出でた夕陽が娘の薄汚れた顔を照らし出した。娘の唇がかすかに動く。
『ユキ、…』
けれどもそれは、声にはならなかった。
雪のように淡く儚く、虚空に溶けて消えた。
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