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久我宮リンは話が出来ない。
リンを役人に差し出した妓楼の面々は誰もがそれを知っていた。冤罪で咎を受けてもリンには言い逃れが出来ない。今までもずっとそうだった。リンは声を失っているのだ。
リンは元々、名高い貴族である久我宮伯爵家にいた。伯爵の妾腹の子であるリンは、母親亡き後、伯爵家に引き取られたのだ。しかしある時、庭の池で溺れ、生死を彷徨った後、気が付いた時には声と記憶を失っていた。
「ねえ、だって、気味が悪いわ。笑いもしない、泣きもしない、口もきけなければ、何も覚えていないなんて」
久我宮伯爵夫人のキヨコは、リンを疎んじていた。
夫がリンの面差しにその母親を見出しているのも、息子のハルキが時折愛おし気にリンを見つめているのも許せなかった。キヨコは夫に隠れて虐待を続けた。リンを池に突き落としたのはキヨコではないかという噂もあったが、真相は分からないままだった。
「妓楼で女性たちのお世話をする娘を探しているらしいの。絶対的に口が堅いことが条件なんですって。ねえ、リンにぴったりじゃない? 何があっても決して口外しないわ。だって口がきけないんですもの」
幽霊のように無表情に過ごすリンを持て余した久我宮伯爵は、夫人のキヨコに勧められるまま、久我宮の名を伏せることを条件に、リンを花街にある妓楼に売り払った。
帝都の歓楽街にある最大規模の高級妓楼。
従業員は優に千人を超え、訳ありやいわくつきの者が多数出入りし、裏取引も行われる。そんな闇に包まれた妓楼の中で、リンの役割は、表向き、女性たちの世話をすることだったが、その実、女性たちに募る鬱憤のはけ口になることだった。
「あたしの着物に触るんじゃないよ、この能面がっ」
「薄気味悪いっ、こっち見るな」
妓楼で働く女性たちは心身ともに消耗し、苦しみを抱えている。しかし大切な商品である彼女たちに、壊れたり死なれたりしないよう、女将は替えの利く下働きの「はけ口」を雇ったのだ。
部屋の清掃に入れば足蹴にされ、食事を届ければぶちまけられ、熱い汁もので火傷する。着物を届ければ髪をつかまれ、振り回されてあざだらけになる。すれ違えば罵倒され、唾を吐かれ、頭上から汚物を浴びせられる。
「嫌だあ、汚ぁあい」
「ねえ、臭いわ、あっちへ行って」
「ちょっと、洗ってあげればいいんじゃないのぉ?」
彼女たちは手にしたバケツで次々にリンに冷水をぶちまけた。
盗みや失態の濡れ衣を着せられることもしょっちゅうだった。
お客様にもらった簪が壊れたと言っては、木に吊るされて手にした鞭で代わる代わる打ち据えられ、お披露目の着物に染みがあると言っては、縄で縛られて地べたを引きずり回された。
彼女たちは声を上げて笑いながら、余興を楽しんだ。
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