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「ねえ、見た? ハルキ様。陰のある眼差しで煙管を吸われて」
「ああ~~ん、素敵ぃ~~」
「本当に絵になるお方よねえ。それでいて羽振りも良くて」
「だって伯爵家のご令息でしょう? それも今、貿易事業が拡大されて、久我宮家は伯爵家の中でも随一の財を成していると言うじゃない」
このところ、妓楼で頻繁に久我宮ハルキの名が上がる。
貿易事業を担う久我宮家は急成長を遂げており、名実ともに帝都の財界を牛耳っていると言っても過言ではない。それは久我宮家の長男ハルキの手腕によるところが大きかった。
冷静沈着。若いのに裏社会との取引にも動じず、身のこなしも卒がない。
女性に人気の憂いを帯びた細面で、足が長く洋装が似合う。名家、財力、容姿と三拍子そろっていて、まだ決まった相手がいないとなれば、女性たちの視線が熱を帯びるのも無理はない。
「胡蝶姐さま、この前お座敷に御呼ばれになったんでしょう?」
「あ~~ん、羨ましいわあ」
「ねえ次はあたしもお連れになって」「いやだ、あたしよお」
妓楼で一番人気の高級遊女である胡蝶は、先日、久我宮ハルキが参加した宴席に呼ばれた。正確には、呼んだのはハルキではなく成金商家の爺で、胡蝶をハルキに紹介してくれたものの、ハルキは胡蝶に触れてはくれなかった。
それでも、
「次はこちらから指名しますよ」
帰りしな、吸いさしの煙管を胡蝶に渡して、ハルキはそう囁いた。
それ以来、胡蝶の頭の中はハルキでいっぱいだった。
もの言いたげな切れ長の目。耳にかかる熱い吐息。憂いを含んだ微笑み。
もらった煙管は部屋にある抽斗に入れて大切にとってある。一人の時に取り出しては眺め、ハルキとの逢瀬を指折り数えて待っている。
「いいなあ、姐さま。ハルキ様に抱いてもらえて」
「あたし、いつもお客をハルキ様だと思うことにしてるの」
「あらやだ、ずる~い。あたしもやるぅ~」
「でもさあ、臭い爺相手じゃ、夢も見れやしないよ」
「ホント、違いない」
仲間たちが騒いでいるのが耳を通り抜けていく。
遊女なんてつらいだけの毎日で、何かにすがりたくなるのも無理はない。
あれから、ハルキが設ける外交の場に何度か呼ばれた。けれどもハルキは胡蝶には触れず、胡蝶の役目はもっぱら取引相手をもてなすことだった。
それでも、その場にハルキがいるだけで幸せだった。
同じ空気を吸って、微笑みかけてもらえるだけで。
「あなたは本当に優秀だ」
ハルキは胡蝶の働きを労った。
「そんなあなたを見込んでお願いしたいことがある。こんなこと、他の誰にも頼めない」
ハルキが望むなら胡蝶は何でもするつもりだった。だから熱を込めてそう言った。ハルキのためなら命を懸けてもいい。胡蝶の熱い願いに応えて、ハルキが店を訪れてくれたのは、それからしばらくしてからだった。
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