1人が本棚に入れています
本棚に追加
人間味バトル
「AIのフリをしてくれないか」
赤瀬の目は、いつにも増して真剣だった。
独自のAI研究を続けている赤瀬は、いつも悩みにぶち当たっている。日に日にシワが増え、目のクマが濃くなっている。最近は、特に張り詰めているようだ。
僕は毎度、赤瀬の頼みを、なんだかんだ受け入れてしまう。餌を求める猫のような赤瀬の顔を見ると、どうも断れない。
いつものように、とりあえず詳しい事情を聞いてみる。
「新宿に設置される超大型施設『DOON』で起用されるAIプログラムの試験があって、僕は、その最終候補にまで残った」
おめでとう、と素直に拍手を送る。
「その最終試験が、明日なんだ」
「急な話だな。その試験っていうのは?」
「簡単に言えば、人間味バトル」
「響きだけは楽しそうだ」
明日行われる最終試験は、それぞれの会社で開発された、AIプログラムを搭載したAIヒューマン[人間型のAI]がいかに大型施設に適応できているかを判断する、という内容になっている。その中で一番適応力があると判断されたAIヒューマン、つまりはその会社が合格ということになる。
最終候補に残った会社は、全部で五つ。
◎日本最大規模のAI会社【エレクト】
◎流行と最先端【X-VANY】
◎日本最初のAI組合【おおみどり】
◎生産力No.1【スピン&キー】
◎情報なし【AKASE】
「よく生き残ったな」
並びを見るだけで、腰が抜けそうになった。
「革命的なAIプログラムを思いついたんだ。これなら、この会社の並びでも引けを取らない」
自信満々の赤瀬の顔。太った猫のようだ。
「でも間抜けなことに、僕はプログラムを設定し間違えてしまった。なんと、明日の最終試験までに間に合わなくなってしまった。そこで君なんだ」
「ということは、まさか」
「僕の会社のAIヒューマンとして、最終試験に参加してほしいんだ」
今まででも、とびきりの頼み事だ。
「色々聞きたいことがあるんだが、まずは、人間の俺が参加するのはいいのか?」
「さっきの並びを見れば分かるように、おそらく、どこの会社も圧倒的なAIヒューマンを連れてくる。おそらく人間と見分けがつかないだろう。だから、お前は存分に人間らしく振る舞ってもらって構わない。最終試験は、至って単純。試験官との会話だけなんだ。つまりお前は人間らしく振る舞って、無事合格をもらって帰ってくればいい」
「そこでもし合格をもらったとしても、後々大変になってくるんじゃないのか?」
「大丈夫。設定をし間違えただけで、僕の革命的なAIプログラムが完成することは決まっている。いざ採用されて、話と違うなんてことにはならない。とにかくこの最終試験だけを凌げば、こっちの勝ちだ」
「なるほどな。じゃあ最後にもうひとつだけ。他の会社も、同じ考えに辿りついている可能性は?」
「おそらく辿り着いている。でも、あれほどの規模で名の知れた会社が、わざわざ危険な橋を渡る必要がない。人間を参加させていたとバレてしまった時の損害の方が圧倒的に多い。それに、おそらくどの会社も、プライドがそんなことを許さない。自身の技術に膨大な自信を持っている。ただの人間を用意しなきゃいけないほど、追い詰められているわけもない」
疑問が空になり、僕は大きく息を吸った。
「試験案内には、大型施設にどれくらい適応できるかを判断する、と書いてあるが、実際はどれくらい人間に近いかどうかだ。AIだと感じさせなきゃ、それでいい」
「余裕だね。僕は正真正銘の人間だよ?」
「気は抜くなよ。日本のAI業界のレベルはとんでもないんだ」
「人間が、人間味でAIに負けたら、今度こそ日本には人間の居場所がなくなるな」
赤瀬と握手をして、ラボを出た。
AIの発展により、人口が半分以下になった日本には、謎の機械音が常に響いていた。
◎◎◎◎◎
集合時間ちょうどに会場に着くと、四人が僕を待ち構えていた。鳥肌が立った。この四人から、AIの雰囲気を微塵も感じられなかった。異常なくらいに。自分が人間だとバレる心配は、どうやら必要なさそうだ。
「やあ。今日はよろしくね」
絵に描いたような男前の若者が、笑いながら話しかけてくる。おでこには【エレクト】の文字が見える。
今回の候補者のルールとして、おでこの部分に会社名を入れることになっている。今朝、僕は赤瀬からもらった、一度くっ付いたらなかなか離れない【AKASE】のシールを貼り付けてきた。
「よろしくお願いしますね」
こちらは【X-VANY】の圧倒的美人。
「お願い致します」
お辞儀をする【おおみどり】の青年。
「頑張りましょう!」
ハツラツな笑顔の【スピン&キー】の少女。
赤瀬の言っていた通り、日本のAI技術は、とてつもなく高いことを思い知らされた。戸惑いながらも「よろしくお願いします」と返した。緊張で硬くなった僕の声は、この中で一番、AIのように聞こえた。
ノック音が聞こえた。扉が開いて、試験官が入ってくる。長机の前に立つと、僕たちを舐めるように見ていく。
「皆さんに、実はプレゼントが」
試験官は小袋を取り出すと、机の上に五つのチョコレートがばら撒いた。
「どうぞ召し上がってください」
その言葉と同時に、スピン&キーの少女はチョコレートの元へ駆けていった。無邪気だなとのんきに思っていると、少女は勢いよく足を絡ませて転んだ。鈍い音が響く。
「大丈夫かい?」
エレクトの若者が、素早く駆け寄る。
「よかったらお使いになってください」
おおみどりの青年が、ハンカチを手渡す。
「お嬢ちゃん。チョコレートは逃げないよ」
X-VANYの女性が、背中をさする。
僕は、その一連を呆然と見つめていた。試験官と目が合って、焦るようにして少女の元に駆け寄る。駆け寄ったはいいものの、することがない。脳味噌を絞って「大丈夫だよ」とか細い声でつぶやいた。これくらいしか思いつかなかった。
これは予想以上にまずいかもしれない。
僕はただでさえ、日常生活であまり感情が動かないタイプなのだ。行動力のあるこの四人の前だと、僕は冷たい人間、いやAIのように見えてしまう。急いで元のスタートラインに立つために、人間の本気を見せなければ。
チョコレートの包みを開け、口に放り込む。
「うわっ。めちゃくちゃ美味しいです。なめらかで美味しくて、えっと、美味しい味です。美味しくて、夢に出てきそうです」
失敗した。軽はずみに見切り発車をした自分を、頭の中で張り倒す。普段やらないことをいきなりやったら、こうなるに決まっていた。
「緊張が解けました」とエレクト。
「ナッツ入りじゃん」とX-VANY。
「感謝いたします」とおおみどり。
「うまい!」とスピン&キー。
目の前で繰り広げられる等身大の感想たちの前で、苦笑いをするしかなかった。このままだと、確実に落ちる。いち早く、人間味を出さないと。
人間味って、なんだ?
考えれば考えるほど、ぼんやりとしてきた。好印象なコミュニケーションができれば、人間味があるのか。いや、緊張でコミュニケーションがままならない方が、人間味が出ているともいえる。この場においての人間味は、一体何になるのか。
「ニャーゴ」
扉から猫が入ってきた。三毛猫。アクシデントかと思って試験官を見ると、全く微動だにしていなかった。おそらくこれは、故意的だ。ここでどういう対応をするか、見ているんだ。
「かわいい〜!」
思っていた通り、スピン&キーは無邪気に猫の元へ走り出した。この純粋さは、果たして人間味ポイントになるのだろうか。
「ちょっと、苦手なんだよなあ」
エレクトは、目を背けている。
「顔を引っ掻かれたことがあって」
本当にAIか。過去のトラウマもプログラムしているのか。猫に対してなんのエピソードもない僕より、当然のように人間味がある。
「ミケ…ミケ…」
X-VANYが、すすり泣いていた。
「そっくりなの…前に飼ってたミケに…」
涙まで流すのか。レベルが高すぎる。しかも、嘘ひとつない、本物の表情筋の動きをしている。僕なんて、流せと言われても流せない。
「ニャー、ニャー」
おおみどりは、ごく普通に猫と接していた。
こういう対応が、一番自然で、一番人間味に溢れているのかもしれない。
また僕は、四人の対応をのんきに眺めてしまった。早く、人間味を見せつけないと。気持ちよさそうに伸びをする猫を、じっと見つめる。
猫みたいな、赤瀬の顔が浮かんだ。
ずっと一人で頑張っていたあいつが、ついに最終試験にまで辿り着いたんだ。あいつの頑張りは誰よりも知ってる。あいつには、報われてほしい。報われなきゃならない。こんなところで終わらせる訳にはいかない。
顔に気合を入れ、猫のところへ一歩踏み出した所で「はい。集合してください」と試験官の低くて通る声が、僕たちを呼んだ。
「合格者を、発表します」
「ええっ?」
思わず、みっともない声が漏れた。
まわりを見ると、すでに四人は覚悟を決めた顔で、試験官の前に並んでいた。慌てて、僕も横に並ぶ。
あっけなく、最終試験は終わりを迎えてしまった。やっぱり僕には、人間味がないみたいだ。人間味バトルって、難しいな。
「合格者は【AKASE】だ」
試験官の声をなぞるように自分で「あかせ」
と口に出した。
試験官は「君だよ」と僕に微笑みかける。
「すごいよ。おめでとう」とエレクト。
「やるじゃん。おめ」とX-VANY。
「おめでとうございます」とおおみどり。
「兄ちゃん、すごい!」とスピン&キー。
深く深く、お辞儀をする。四人は試験官に頭を下げると、あっという間に帰っていった。部屋には、僕と試験官だけだ。
「本当に、合格なんでしょうか?」
不安で仕方がなかったので、聞いてみた。
「ああ。間違いないよ」
「僕、全く人間味を出せていなかったと思うんですけど」
「出せていたよ。君は人間味をどう捉えている?」
頭の中に、答えを探す。やっぱり僕の中には、明確な人間味というものはない。
「なにも、捉えられていないです」
試験官は少し笑うと、改めるように言った。
「途中の感情だよ」
僕が疑問の表情を浮かべていると、試験官はそのまま話を続けた。
「喜んだり、悲しんだり、驚いたり。いわゆる喜怒哀楽の感情がしっかりと動いていることは、もちろん、人間味に直結する。
さきほどの、チョコレートと猫。君以外の四人は、無邪気に喜んだり、過去を思い出して泣いたり、ごく普通に触れ合ったりしていた。これは一見、様々な感情の動きを見て取れたから、人間味があるように思える。
しかし、その動きは、0から100への、大ジャンプばかりだったんだ。チョコレートがあったら、これ。猫が現れたら、これ。そんな風に、スイッチを切り替えているように見えた。でも君は違った。君だけはずっと、途中の感情を通ってから、行動に移っていた。40や60の感情のところでウロウロしていた。と思えば急に100になって、チョコレートの感想を言い出して失敗したり、20くらいのまま、ぼーっと四人を眺めていたり。人に話しかける前の強張った表情。曖昧な返事。こういった途中の感情を含んだ行動こそが、私は人間味だと思っているんだ」
僕の慌てふためいていたあの行動の一連が、人間味を生み出していた。はじめて、自分の性格をマシだと思えた。
「ちなみに、人間味の答えはひとつではない。私の思っている答えが、途中の感情というだけだ。こんなに深くて魅力的な人間という生き物の味を、ひとつでまとめられるはずが無いからな」
試験官が、手を差し出してきた。
「よ、よろしくお願いします」
戸惑いながら、握手をする。
「にしても、赤瀬の技術は惚れ惚れしいな」
試験官の手が、僕の体を撫で回す。
「あ、ちょっと」
「肌質もなかなかだ。鼻も…」
試験官の指が、鼻の穴を広げる。
「ぐっ、ほあ」
叫びたい。やめてくださいと、大声で叫んでやりたい。でもできない。
だって、この部屋での僕は、AIだから。
「はいはい。髪の毛はどうだ」
試験官の指が、髪の毛に絡まる。ぶちっと抜かれたり、限界まで引っ張られたりする。
人間のおっさんと人間の若者の絡み合いが、小一時間、淡々と繰り広げられていった。たまに視界の隅に入ってくる三毛猫だけが、癒しだった。
最初のコメントを投稿しよう!