ダンシング・オドルのサイン会

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 現在、日曜日の十二時。  俺が並んでいるこの書店は普段、客が少なく、寂しい雰囲気を醸し出しているのだが、今日は違う。  脳の運動機能を司る部分にAIを搭載して世界一のダンサーとなったダンシング・オドルの自伝『マイダンス』の発売を記念したサイン会が行われるからだ。  この付近は指名手配中の殺人鬼、オ・ドリ・タロウが住んでいるらしいという噂が流れていてサイン会を中止する案も出たのだが、ダンシング・オドルの「俺は、あらゆる状況を想定して、サイン会に臨むつもりだ。だから……大丈夫だ」という一声で開催されることとなった。 「はい、それじゃあ、時間になったから始めまーす!」  ダンシング・オドルが爽やかな笑顔で、お得意のロボットダンスをしながら叫ぶ。  俺たち大勢のファンも、当然のようにダンシング・オドルのロボットダンスを真似る。  そして、「セイ! ウィーン! ウィーン!」とダンシング・オドルが場を盛り上げる。 「ウィーン! ウィーン!」 「ウィーン! ウィーン!」 「ウィーン! ウィーン!」  全員がロボットダンスをして一つとなり、絶叫する。 「みんな、いいよ、実にいい! じゃあ先頭の人から順番にサインするよ」  ロボットダンスを終えたダンシング・オドルが呼吸を全く乱さずに言う。  そこで俺たちもロボットダンスをストップした。  すると、まず最初に「ウィーン! ウィーン!」と、(俺の前に並んでいたヤツに聞いた話によると)昨日の夕方から順番待ちをしていたというジェニファーという名前の、若めの女性がテーブルの所にいるダンシング・オドルの前まで歩いて行き握手をした。 「わー! 本物だー! 嬉しいなー!」 「君、名前は?」 「ジェニファーです! 見て下さい! 私、十冊買いました!」 「おおぅ、十冊も! ありがとうね。じゃあ、特別なサインをしてあげるよ。……愛しのジェニファーへ、と」 「う、うぎゅー!」 「ジェニファー、大丈夫かい!」  ダンシング・オドルが焦る。  ジェニファーは歓喜のあまり失神したようだ。 「ドクター!」というダンシング・オドルの声で、ドクターが素早く来てジェニファーを運んでいく。 「ジェニファーは大丈夫だ。いいか、俺は、あらゆる状況を想定して、このサイン会に臨んでいる。だから……ジェニファーは大丈夫だ!」  ダンシング・オドルが叫ぶ。 「おい、聞いたか!」 「ああ、聞いた!」 「備えあれば憂いなし、ってやつだな!」 「さすが脳の運動機能を司る部分にAIを搭載して世界一のダンサーとなったダンシング・オドルだぜ!」  ジェニファーが倒れた直後から微妙に変な雰囲気になっていた空間が、安心感に満たされた。  その後は、特にアクシデントもなくサイン会が続けられ、30分ほど経つと「私、大丈夫よー!」と俺の背後から声がした。  振り向くと元気に飛び跳ねるジェニファーが、そこにいた。 「みんな、言っただろ。大丈夫だって」  ダンシング・オドルが椅子から立ち上がり、ウインクする。 「おい!」 「ああ!」 「備えあれば憂いなし、ってやつだな!」 「さすが脳の運動機能を司る部分にAIを搭載して世界一のダンサーとなったダンシング・オドルだぜ! 脳が普通の人と違うから色々なことを思い浮かべることができるんだね!」  場に、一層と一体感が生まれた。  そして、ようやく俺の順番が回ってきた。 「君、名前は?」  ダンシング・オドルが本にサインしながら俺に訊く。 「オ・ドリ・タロウ」と俺は自分の名前を言った。 「オ・ドリ・タロウ、ね」 「はい」 「いい名前だね」 「ありがとうございます」  そこで場が騒然となった。   「おい、聞いたか!」 「ああ、聞いた!」 「あっ、あの顔! 指名手配犯じゃねーか!」  すぐさま、ダンシング・オドルの傍にいたボディガードが俺を取り押さえた。 「あっ! 君、指名手配犯のオ・ドリ・タロウじゃないか! AIの老朽化の影響による偏頭痛に気を取られていて、名前を聞いても気づかなかったよ!」と、それまで爽やかに笑っていたダンシング・オドルが真顔になる。 「ええ、そうです」と俺は笑った。 「……どうして、ここに? まあ、この状況も事前に想定してセキュリティを高めにしてしていたけど……驚きだよ」    ダンシング・オドルが悲しそうな声で言う。 「実は、最近、あなたのファンになったんです。それで……先日も購入した『マイダンス』を読んで……正しく生きろって、あなたに言われた気がしました」 「ああ、確かに、『マイダンス』には、そういうメッセージも込めた」  ダンシング・オドルが重々しい口調で言った。 「俺、自首して罪を償おうと決めたんです。今日ここに来たのは、服役する前に正しい道に導いてくれたあなたに感謝の気持ちを伝えたかったからです。……ダンシング・オドルさん、ありがとうございます!」 「なるほど。君の役に立てて、実に光栄だよ。大変だろうけど、これから精一杯頑張るんだよ」  ダンシング・オドルは涙を流した。 ―*―*―*―*―   三年が経った。  俺は罪を償いながら、日々、ダンシング・オドルに感謝しながら生きている。  しかし最近、『マイダンス』は全文AIが書いたという事実が発覚したので心がザワついている最中だ。  出所後は、ますます加速していくであろうAI社会に踊らされないよう気をつけなければ。   (了)                      
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