百々目鬼怪談文庫

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夕方五時になると、無人の音楽室からピアノの音が聞こえるという。毎夕、五時に成ると、水樹はプラントの横に立ち、無言で音楽室を凝視している。まるで何かに取り憑かれているようだった。 「ピアノは本当に鳴るの?」 水樹は、無機質な校舎を見上げながら応えた。 「毎日、聞こえる」 でも、どうして毎日、不気味なピアノの音を聞かねばならないのか。 「聞く人が居るから、ピアノは鳴るのよ」  水樹は、虚ろな目で音楽室の窓を見詰めながら言った。怪異に取り憑かれている水樹を見て羨ましくなった。  僕も取り込まれてみたい。その衝動を伝えると、 「五時まで待って、聞こえるから」  微かな期待と疑念を持ちながら、五時を待った。 「ピン」  聞こえた。ピアノの音だ。  僕が期待していた現世には無い未知の音色ではなかった。あやかしのモノが、あんなに現実的に鼓膜に届く音色を奏でるのだろうか。  ――きっと誰かの、生きている人間の悪戯ではないだろうか。  僕の中のスイッチが、怪談モードから、探偵モードに切り替わった。  化け猫の正体を確認しよう。水樹の手を引っ張って音楽室に走った。三階に上がると、音楽室の両開きの扉の片方を押した。室内に入り、人が居ないか見回す。誰も居ない。  音楽室から繋がる資料室に誰かが隠れているかもしれない。資料室の引き戸の前には、件のピアノがある。ピアノに近付くと、緊張から心臓が高鳴った。  それを揶揄う様に、「ピン」。音階は「ソ」だった。  僕と水樹は、悲鳴を上げて音楽室の出入り口に走った。僕は両開きの扉を体当たりするように開けようとした。が、いくら押しても開かなかった。  背後では、「ピン…ポロン…」ピアノが鳴っている。  悲鳴を上げながら、もう一度確認しようと振り向いた。やっぱり、ピアノは無人だった。 「出してっ開いて!」  絶叫しながら扉を押すと、身体が向こう側に勢いよく倒れた。扉は開いてくれた。 廊下に転がり出ると、校舎の外まで走った。 以上が、僕の体験です。 以上が、妹の怪奇体験談です。 「素晴らしい体験談だ。妹さんは、怪奇体験のエキスパートだな」 「怪異と遭遇する頻度が高い、と仰りたいのは判ります。しかし、まだ引っ越してきて間もないため、この町では普通の出来事でも、妹にとっては何もかもが初体験なんです。だから衆知の事象を、奇妙な体験だと感じているだけかもしれません」  星宮先輩の鬼火の謎解きを思い出していた。 「例えば、鬼火です。僕は、あれを隠里世から来訪する亡者の魂だと思ってました。でも、地元民には、蛍石の燐光であることが衆知の事実だとか」  同じように、妹も怪異ではない事象を怪異だと勘違いしている可能性がある。 「鬼火と違い、青空町には例の猫啼の怪の類例が無い。幽霊ピアノの怪異も、百々目鬼怪談文庫には類似する怪異が報告されていない」 「類似する報告が無いということは、十年前の事故から始まったとされるミサキ君の都市伝説は、最近始まった怪異の発生後に誰かが創作したのですね」 「創作というか、この手の死んだ生徒の霊が~系の都市伝説は良く見掛けるため、音楽室での怪異発生後に、死んだ生徒が~系の類話を怪異が起こる原因として引用したのだろう。怪異が先で、都市伝説が後付けだ。  だから都市伝説に信憑性を与えるため、怪異が捏造されたわけではない。  第一、幽霊ピアノの怪異は確実に起きている。録画された動画に、ピアノに触れた人物は映っていないからな」  夜、星宮先輩に連絡した。幽霊ピアノについての動画を送信すると、五分後に返信があった。 「無人のピアノは、鳴ったりしない。  音源は必ず、しかも音楽室から体験者の聴覚の及ぶ範囲にある。  その場所を突き止めれば、自ずと幽霊の正体も解るはずだよ」  先輩は、そうアドバイスをくれた。    翌日の放課後、僕は図書室の片隅に居た。  校舎の構造を知るためだ。  校舎の見取図を閲覧しても、ホームズが建物の外観から見破ったような隠し部屋などはない。  但し、廊下を挟んで音楽室の正面に謎の小部屋がある。  見取図には、部屋の用途を表すような説明は記載されていない。  この小部屋から、ゆずが聞いたピアノのメロディを流したなら、音楽室に居た二人の聴覚に 及ぶと思う。 「音源の位置の見当はついた。次は、謎の小部屋の使用目的ね。室内に、何が在るのか知りたい」  一階の図書室から、二階にある謎の小部屋の前に移動する。  小部屋に鍵は掛かっているだろうか。取っ手を回す。施錠され、頑なに閉じられている。  見取図と同様、小部屋の周囲に用途を示す記載のある物は見当たらない。 「誰も使用しない部屋だから、誰かに使用目的を示す必要が無いのかな。  でも何故、使用されていないのだろう。そうか、使用目的の無い物を保管しているのかもしれない。誰も使用しない物を保管しているから部屋も使用しないけど、その保管の必要性のために部屋が必要なんだ。  つまり、ここは開かずの倉庫なんだ」  図書室に戻る。閲覧室で、フリードリンクのコーヒーを飲みながら考える。 「でも、誰にも使用目的が無く、保管する必要のある「物」って何だろう。  使用目的が無い物を、保管するだろうか。そんな物に保管の必要性なんて無いはずだ。  なんだか当初の仮説が、合理的ではない気がしてきた」  不意に背後から、星宮先輩に話し掛けられた。 「だが、その仮説は正しい。その仮説が正しいか確認する必要がある」 「何の話しですか」 「君の独り言を、ずっと聞いてた」  どこで聞いていたのだろう。 ずっと影で隠れて見ていたということか。 「どうやって、仮説を確証に替えれば良いのでしょう」 「あの小部屋に、使用目的が無いのに保管している物が存在するのか確認したいんだろ。  学校史を閲覧したらどうかな。解らないことは、記録を参照することが大切だよ」  検索端末で、学校史を探す。  二階の書庫にあるみたいだ。  書庫の鍵を借りるために、職員室に向かおうとすると、星宮先輩がポケットから書庫の鍵を取り出した。 「必要になると思って、予め借りておいた」  書庫から、学校史を見付ける。パラパラと頁を捲る。 「この校舎は、平成元年に建て替えている」  先輩のヒントだ。平成元年以降の頁を閲覧する。  平成十年の記録に、町の名士からピアノが寄贈されたとある。  平成二十年にも、またピアノが寄贈された。これは電子楽器製造企業からの、電子ピアノの寄贈のようだ。  現在、音楽室で使われているのは、この電子ピアノか。前のピアノは、どうなったのだろう。  平成十年の頁に戻る。最初の寄贈はアナログピアノで、高価な物だと記述がある。  横から見ていた星宮先輩が、 「それが答えだよ」  解ったね、と言わんばかりだ。 「全然、解りません」  僕は素直に答えた。まだ、考えている最中だからだ。星宮先輩のナビゲーションが、僕が謎を解くより少し速い。  先輩は、眼鏡の奥の両目を細めると、困ったように口をヘの字にした。 「まず、高価なピアノが寄贈された。それが新しい電子ピアノの寄贈に際して、どこへ消えたのかだ」  古いピアノは、どこかに仕舞ったということか。 「謎の小部屋ですね」 「電子ピアノが主流になり、アナログピアノは価値が上がる。所謂ヴィンテージというヤツだ」 「価値が上がったら、どうするつもりなのでしょう」 「保管したアナログピアノの行く末は、学校の都合や事情により様々な想定が出来る。  最近になって、そのアナログピアノを調律している可能性があるから、演奏を披露する機会でも生じて、そういう対処を始めたんじゃないかな」 「調律…そうか。その調律の際の試演が、あの小部屋から聞こえていたのか」 「それが音楽室の怪の正体だと思うよ。  小部屋から聞こえる試演の音色を、音楽室の無人のピアノから聞こえていると誤認した。  そこから幽霊がピアノを奏でるという都市伝説が生まれた」  なるほど、幽霊が奏でるピアノとは、試演の誤認だった。 だが待てよ、 「それでは開かない扉の説明がつきません。  妹は、からかい半分に幽霊ピアノを見学しに行ったから、怒った幽霊が二人を閉じ込めた、と訴えています」 「音楽室の扉は、押しても引いても開く仕組みになっている。だからこそ、押しても引いても扉は開かなかった」 「そっか。押すと引くを、同時にやっていたからですね」 「ゆずちゃんは、扉を押していた、と証言している。でも、水樹さんは、扉を引いていたんじゃないかな。押す力と、引く力が拮抗して、開かなかった」
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