ぼーいず・びぃ・あんびしゃす

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ぼーいず・びぃ・あんびしゃす

 夜のガッコウはお化け屋敷よりもこわいや。  リュータがそう思うのは、真っ黒な廊下をこっそりこっそりと歩いているからである。  ちゃんと十品目食べた? とあやしげなテレビに惑わされて、テーブルに並べたお皿のおかずを数える母親と、リュータがうえっときた料理でも文句を言わずに食べている寡黙な父親に、ちょっと友達のトコ行ってくると言って家を出たのは、夜の六時半頃。どこ行くのと、手にした中皿から不気味な匂いをちらつかせている母親には、カンナんちと嘘をついた。学年トップを走る秀才には、母親もガードがゆるいことを経験で知っているリュータである。案の定、早く帰ってきなさいよと言いながら、鼻につく匂いと共に台所へ消えた水玉模様のエプロン姿を見届けて、リュータは家のドアをそっと閉めた。  ことの発端は、今日の学校の帰り道で、「あっ!宿題わすれちゃったあ!」とヤスヒコが叫んだことにはじまる。校門を出てまもなくだったので、一度教室へ戻って取ってこようとしたのを、ゴリスケの手ががっしりと押さえつけて、「どうせなら夜にとりにいこーぜえ!」とクマのような目をきらきらと輝かせて言った。「オレ、夜のガッコーを見てみたいんだ!」とガッツポーズをつけ加えて。すると肩を掴まれたヤスヒコは、チワワのような目をぱちくりさせながら、「えー……でもぼくぅ……」と尻込みをした。いつも栄養がいきわたっていないような顔をしているヤスヒコは、昼間お手洗いが停電になっただけで悲鳴をあげた実績がある。「なんだよー。いーだろー!」とのゴリスケに、いつもならこういう場合、「却下」と決めゼリフを吐くカンナが、どういうわけか細いメガネのフレームを押しあげて、「よし」と返事をしたものだから、その場でぶらぶらしていたリュータもあわせて、今夜七時、学校の校門前で集合ということになった。  集合して、すぐに校舎に入った。校門は昨今の社会情勢にしては鍵がかかっておらず、まだ校舎内に人がいる場合は普通に靴箱がある出入り口も開いている。ということをなぜかカンナが知っていて、滞りなく宿題奪還作戦は遂行されたのだ。  ただいまその四人は、足音を忍ばせて、夜の廊下を歩いている真っ最中である。  先頭はゴリスケ。その次は、ヤスヒコ。三番目がカンナで、しんがりはリュータである。  ゴリスケはまるでアマゾンの奥深い秘境でも探検しているかのような意気込みで、いつ何時首狩り族が現れてもいいように、ギョロギョロと暗い廊下の壁を睨みながら、自慢の腕を振り回している。ちっとも怖くはないらしい。ヤスヒコはそのごつい背中に隠れるようにして歩いているが、ちょっとした物音にもビクビク反応して、「もうかえろうよぉ」と泣き声で呟くのが癖になってしまっている。カンナは小さなペンライトを持っていて、それが唯一の明かりだ。学校に侵入してゴリスケが首からぶら下げている懐中電灯をつけようとしたのだが、目立つからとカンナが止めた。代わりにペンライトをつけているのだが、どう見ても持ち主にしかその恩恵にさずかっていない。カンナがひょいとよけても、後ろのリュータが壁にごつんとぶつかる。ちえっと舌打ちしながらも、お化け屋敷のたぐいが大好きなリュータは、やりかけのゲームや全然手をつけていない算数の宿題をきれいに忘れ、短パンのポッケに両手を入れてくっついていった。  ほどなく六年三組の教室にたどり着いた。もう目は暗闇に慣れていたので、ヤスヒコはそおっとドアを開けると、机にぶつからないように気をつけながら、窓側の席まで駆け足で行き、机の中から一枚の紙を取り出して、すばやく戻ってきた。 「あった」  ヤスヒコの顔は安堵でいっぱいである。宿題を忘れずにすんだことよりも、この探検が終わることに一安心していることは、そのやつれたニコニコ顔で明らかだ。  ところがである。 「よっし。次はりかしつだ」とゴリスケが意気揚々と宣言した。  まっさきにヤスヒコが悲鳴をあげる。 「えー、でもぉ……」 「なんだよ。あそこが一番のヤマなんだぞ。なあ、カンナ」 「そうだね」と、ペンライトの明かりに照らされた顔が無情に頷く。  リュータは二階にある理科室をぼんやりと思い浮かべた。ガラス棚に並べられた得体のしれない液体が入っているフラスコや、人体解剖の図が克明に描かれたポスター、不気味な標本、わけのわからない道具の数々、人間のおとなの骸骨の模型……  そこよりもわいわいと騒げそうな体育館のほうがずっと面白そうだと思った。けれどそれを見越したかのように、カンナがメガネの奥から鋭く見た。 「リュータ、夜にひとりで理科室へ行ったことをアマミヤさんが聞いたら、きっとすごいって言ってくれるよ」  アマミヤリンカさんはひそかにリュータが想っている同級生の女の子である。可愛くって、可愛い。アマミヤさんも女優さんみたいだよねって、周りの女の子たちがきゃあきゃあ言っていたのを思い出した。アマミヤさんは恥ずかしそうに頬っぺたをひとさし指で突っついていた。それもまた可愛いかった。リュータはぼおっと赤くなった。「なんだ、リュータすきなのかよ」とゴリスケがからかい、ヤスヒコも「へえ」とびっくりして、リュータは頭をかいて照れたが、お前らバラすなよと思いつつ素直に従った。  三階にある六年三組の教室から理科室はそれほど遠くはない。ひとつ階段を下りて、廊下を左に曲がって進めば、目的地に到着する。ただし、そのゆく手には職員室が待ち構えている。 「いいか、ここがサイコーにむずかしいところなんだ。とにかく先生にみつかんないように、気をつけてすすむんだ」  ドアのガラス越しに洩れている蛍光灯の明かりを指さして、ゴリスケ隊長はいざ突撃と頭を伏せた。  四人は透明のガラス部分を避けるために、忍者のようにこそこそと体を小さくして、ドアの前を通り過ぎようとした。けれどドアはほんの少し、親指ひとつぶんだけ開いていた。そこからはみ出した明かりとともに、複数の声がリュータの耳に入ってきた。  アマミヤリンカが、と聞こえた。  リュータはぴたっと足をとめる。アマミヤさん? ドアのすき間に耳を寄せた。「残念だなあ……」「……まだまだと思っていたんだけどねえ……」「……でもなあ、そんな素振りなかったのになあ……」 話し声のひとつは、明らかに担任である。「……関西に行くって……」「あっちにいるんだろう……」「でもさあ、どうやって……」  リュータの心拍数がはねあがった。カンナが服の袖をひっぱっているが、胸がどきどきしてそれどころではなかった。「……ほんとにびっくりだよねえ……」担任の声が少しだけ残念そうに聞こえる。  リュータはくらくらと眩暈がしそうになった。頭の中が色々な言葉でごちゃまぜになっている。そういえば、今日のアマミヤさんは元気がなさそうだった。いいや、ここ最近、顔色が悪かった。風邪をひいたからって聞いたけど、それだけで元気がなくなるんだろうか。おれなんて全然へーきなのに。  もういてもたってもいられなかった。リュータ、と止める声を無視して、ドアをこじ開ける。 「せ、せんせい! アマミヤさん、テンコ―しちゃうんですか!」  転がるようにして入ったリュータが目にしたのは、この春赴任したばかりの若き担任と、その担任と異様に仲が良くなったごつごつの体育教師がソファに向かい合って団らんしている光景。二人ともあっけに取られたようにリュータとその背後でうごめく三つの影を見たが、みるみる担任の表情が強張り真っ赤になった。 「お、お前たち! こんな時間に何をしているんだ!!」  こうして少年たちの探検は終わった。  その後四人は、担任の説教をくらい、さらに体育教師のカミナリをくらい、あげくにはそれぞれの保護者に電話させられ、家へ帰ってからもお小言をくらうという散々な目にあった。  おまけにリュータは家へ戻る道すがら、ゴリスケの怒りの雄叫びと、ヤスヒコの呆れたため息と、カンナの冷たい眼差しにさらされ、短パンのポッケに両手を突っ込み、肩を落としてとぼとぼと歩くしかなかった。  けれど唯一の救いだったのは、アマミヤさんの転校話がリュータの勘違いだったことである。  若き担任と体育教師が話題にしていたのは、先ごろ結婚して関西地方に新居を構えた同姓同名の某有名女優のことだったのだ。なんでも担任が大ファンならしい。  よかった、と正直に思ったリュータである。                                  
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