彼女が死んだ後の世界

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 夜、暗闇の中で、天井を眺めていた。さっきまで泣いていたせいか、やけに感傷的な気持ちになっていた。佐々木詩織が亡くなったのは、突然の事故だったらしい。僕の高校のクラスメイトだった。髪が長くて、背は高く、目が大きいのが特徴で、出会った頃から僕は彼女に興味を抱いていた。僕と彼女は偶然、席替えで隣同士になり、話をするようになった。何回か一緒に帰ったこともある。僕らの距離が縮まるに連れて、クラスメイトは僕らが付き合っているのではないかと噂をするようになった。  でも彼女は昨日の夕方、帰り道で自動車の事故に遭い亡くなってしまった。そのことは今日の朝に、担任の先生が話をしたことで知った。  スマートフォンを手に取り、彼女の連絡先を開く。そこには以前、連絡を取り合った内容が残っていた。僕らは夏休みになったら、一緒に受験勉強をする約束だった。でもそれが実現することはなく、彼女はこの世を去り、僕はこれからも生きていかなくてはならない。  しばらくベッドの上で、考え事をしていたが、明日も学校があるので、眠ることにした。すると窓際に何かの気配を感じた。そちらの方を見ると、とても小さな猫が窓際に座っている。僕と猫は目が合った。 「やあ」  猫は口を開くとそう言った。現実では考えられない出来事が起きて、僕は動揺していたが、彼女が亡くなったこともあり、こんなことが起きてもいいかもしれないと思った。 「何?」 「佐々木詩織に会いたいか?」  猫はじっと僕のことを見ていた。僕は一度深呼吸をした。 「もう彼女は死んだんだよ」 「それで、新しい世界へ行ったんだ」 「新しい世界?」  猫は窓際から床に降りると僕の側までやってきた。鼠くらいの大きさで、黒猫だった。 「お前を招待するよ」  猫は僕の膝の上に座り、何かの呪文を唱えた。すると視界が変化していることに気が付いた。その時、思ったのは、これは夢かもしれないということと、彼女に会えるのではないかという期待だった。  僕は眩暈を感じながら、徐々に意識が薄れていることに気が付いた。  目を覚ますと、僕はベッドの上に寝ていた。でも天井はコンクリートになっていて自分の部屋ではなかった。僕は起き上がり、見知らぬ部屋の中を見渡した。ドアがあったのでそこを出ると、確かに猫が言ったように、そこには佐々木詩織がいた。彼女はキッチンに立ち、じっとやかんを見つめている。彼女は僕の存在に気が付いて、僕の方を見た。 「どうして?」と僕は言った。 「まさか、また会えるなんてね」  詩織はそう言うと棚からマグカップを取り出し、やかんのお湯を注いだ。 「亡くなったんだろ?」  僕はリビングのテーブルに座った。壁は無機質なコンクリートで、部屋の中は物がなくて閑散としていた。  詩織はマグカップをテーブルに置くと、僕の前に座った。カップの中には白い液体が入っている。 「これは何?」 「ミルクティーだよ」  僕はそれを一口飲んだ。とてもおいしかった。詩織もカップに口を付けてそれを飲んでいた。部屋の中は奇妙なくらい静かだ。 「ここはいったいどこなの?」と僕は聞いた。 「猫には会った?」 「会ったよ」 「その猫が言うには死後の世界みたいね」  僕はそう言われて、茫然としていた。僕は死んだのだろうかという思いが脳裏を過った。 「少しこの世界について知りたいんだ」 「じゃあ案内するわ」  彼女は立ち上がると、ドアの方へ歩いて行った。僕も後ろから付いて行く。  部屋の外に出ると、レンガの壁でできた廊下があり、彼女は部屋のドアを閉めた。階段を降りて建物の外に出ると、町はオレンジ色の街灯に照らされていた。通りを数人の人が歩いているが、僕らの方は特に見ることもなく、通り過ぎて行った。  町には同じような建物がずっと先まで並んでいた。高さは五階建てくらいで、マンションになっているようだ。僕らは土の道を歩いていき、その間、町の様子を眺めていた。  詩織は僕の隣を歩き、背伸びをした。彼女はどちらかというと大人しいタイプで、本が好きだったので、様々な知識を持っていた。通っていた高校でも成績はクラスで一番だった。 「なんだかこの世界に来て、寂しかったからさ、また会えてよかったよ」と詩織は言った。 「僕は元の世界に帰れるのかな?」 「たぶん大丈夫だと思うわ。それよりさっき、お店で花火を買ったの。一緒にやらない?」 「花火?」 「そう」  町を歩いていくと、大きな川が見え始めた。対岸にも町があるようで、建物の明かりがある。河原には白い小さな石が敷き詰められていた。詩織はポケットから、紙袋を取り出した。そして一本花火を取り出した。マッチで火をつけると、詩織の持っている花火の先端から火花があがる。その光は暗闇の中を照らしていた。涼しい夜風が吹いている。空にはたくさんの星が輝いていた。 「もしかしたら、この世界は地球の遥か遠くにあるんじゃないかな?」 「ただの夢かもしれないよ」と彼女は言って笑った。 「これから何をするの?」 「農場で働くことになったの。一通りのことは猫に聞いたから」 「猫もこの世界にいるんだ」 「私の前に時々現れるからね」  僕らはその日の夜に河原で花火をした。彼女は明日から近くの農場で働くことになったと言っていた。役所で紹介され、明日の朝に行くらしい。僕らは部屋に戻ると、眠ることにした。部屋は三つあって、一つが彼女の部屋、もう一つが僕、そしてリビングがあった。  翌日、僕は目覚めた。窓の外から青い光が差し込んでいる。まだ早朝のようだ。リビングへ行くと彼女はキッチンに立っていた。昨日みたいにやかんでお湯を沸かしている。 「おはよう」と僕は言った。 「おはよう。よく眠れた?」 「熟睡できたよ。もしかしたら詩織がいるからかもしれない」 「ならよかった」  朝食は紅茶とパンだった。昨日、市場で買ったらしい。 「当面の費用はどうなってるの?」 「この町に初めて来た人は役所で手続きをするの。猫に教えてもらった。ある程度の資金は町が貸してくれたわ。この部屋も役所の人が用意してくれたの」  僕らは食事を終えると、部屋の外に出た。建物の外に出ると、涼しい風が吹いている。地球のように、この世界にも太陽があった。 「あれは太陽なのかな?」と僕は聞いた。 「宇宙には太陽みたいな星が無数にあるんでしょ? ここもそうかもしれないね。ねえ、この世界が何か調べるっていいかもね」 「町にいる人はみんな地球で亡くなったのかな?」 「わからないけど、そうかもしれないね」  農場までは歩いて三十分ほどで、周りには森があった。木の小屋があり、僕らが訪れると扉が開いた。出てきたのは三十歳くらいの男性だった。背が高くて、髪は茶髪だった。 「待ってたよ。中に入って。説明するから」  男性は僕らを部屋に案内した。 「今日から働くことになっています。よろしくお願いします」と彼女は言った。 「役所から連絡はもらったよ。一昨日来たんだって? 彼は?」 「僕もこの世界に昨日来ました」 「二人は友達?」 「ええ」と彼女は言った。 「珍しいな。君もここで働いたらいいよ。小さな農場だけどさ、人手不足だからね」 「何をしたらいいんですか?」 「果実を収穫してほしいんだ。案内するよ」  小屋の外に出ると、僕らは農場に入って行った。農場はとても広くて、等間隔に背の低い木が並んでいる。そこには赤い実が付いていた。 「籠を渡すから、いっぱいになるまで積んでくれ。それが終わったら新しい箱に詰めて、出荷するんだ。いずれは収穫から出荷までやってもらうから」 「わかりました。頑張ります」と僕は言った。  僕らは朝から、収穫を行った。この世界は自然が多くて空気が心地よかった。僕は籠に小さな赤い実を積んでいった。彼女も遠くで作業をしている。  農場主の男性は、僕らが積んだ果実を荷台の付いた車に乗せていた。僕らは昼になるまで、その作業を行った。  昼休みになると、男性が用意してくれた料理を食べた。豆のスープとパンだった。スープはトマトベースになっていて、とてもおいしかった。詩織は僕よりも多くの果実を収穫していた。学校の成績がいいように、何かに取り組むと成果を出せるのだろう。  昼休みが終わると、僕らは市場に行くことになった。男性が運転する車に乗って、町を走っていく。窓の外から町並みや広大な自然を見ることができた。市場に着くと、男性は店と交渉をして、果実の箱を売っていた。僕らは付き添ってその様子を見ていた。  農場へ帰った後は、簡単な事務作業を行い、それが終わると、夕方になっていた。 「明日も朝早いけど、頑張って」と彼は言った。 「よろしくお願いします」と僕らは言った。  帰りに僕らは店に入った。そこは小さなレストランだった。彼女と僕は四人掛けの席に座り、メニューから魚料理を注文した。  しばらくするとコーヒーと魚のソテー、バターを塗って焼いたパンが運ばれてきた。 「今日は疲れたね」と僕は言った。 「なんだか基本的なことは地球と同じみたいね」 「今度の休みに旅行へ行こうよ。この世界のことを知りたいんだ」 「私も知らないことばかりだから、そうしようか。そういえば夏休みに勉強する約束してたよね」 「そうだったな。なんだか昔のことに思える」  僕らは食事を終えると、店を後にした。ちょうど太陽が沈んでいこうとしている。僕ら二人でいつもこうやって過ごすことができたらいいなと思った。この世界にいる限りは悩むこともない気がした。  夜になると、部屋に戻った。するとキッチンの上に黒猫が座っていた。 「この世界には慣れたか?」と黒猫は詩織に聞いた。 「慣れたよ。仕事は大変だけど、悪くないと思う」 「お前が好きだった人を連れてきたんだ。でもいつまでも二人でいることはできないからね」  僕は詩織の方を見た。彼女は僕のことが好きだったのだろうか。 「もしかして、今日で終わりなの?」と彼女は聞いた。 「明日の朝、彼には元の世界に戻ってもらう。ここは生きている人間がいる場所じゃないんだ。寂しいと思ってさ。特別に連れてきたんだ。君も彼女が好きだったんだろ。残念だけどね。両想いだったとはな」  僕と詩織はお互いのことを見ていた。黒猫は静かに窓からいなくなった。 「なんだか寂しいな」と詩織は言った。  彼女の目には涙が浮かんでいた。 「もう少し一緒にいれると思ったんだけどな」 「しょうがないよ。ここは死後の世界だからね」  僕らはその日の夜に、ベッドに並んで横になった。彼女の目には涙が浮かんでいた。僕は彼女の存在を感じていた。もし今でも生きていたら、元の世界でこうしていたのかもしれない。僕らは夜明けまで様々な話をベッドに横になりながらした。夜明けがやってくると、僕は体の感覚がなくなっていくことに気づいた。 「さようなら」と僕は言った。 「圭介に会えてよかったよ。元の世界でも頑張ってね。私はいつも圭介のことを思っているから」  僕はしばらくすると意識を失った。  目が覚めると、僕は自分の部屋にいた。時計を見ると、どうやらあの世界にいた時間は経っていないようだ。猫も部屋にはいなかった。まるで夢だったように思った。僕は彼女のことを思いながら、目を閉じた。
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