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四人の少女と、鉄塔の季節
「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。
あたしたち、三人は雲の上まで伸びる鉄塔の上からの声に棒立ちになった。あたしたちのそばにはついさっき、「こんなの楽ショー!」なんて、けらけらと笑っていた一葉一葉が半分黒こげになって転がっている。一葉自慢の腰までの長い髪は大半が焼けて塊になって、焦げ臭いにおいがあたりに漂う。
「だまされたんだよ」
三葉がうなるような低い声で言った。あたしたちは、だまされていた。浮かれていた。何が、バスに乗れるよ、だ。何がご馳走が食べられる、だ。
「次は、誰? 15歳のまま、ずっと生きられるよ。不老不死になれるのは一人きり。早く梯子を登っておいで」
声は時々割れて響き、男か女か分からなかった。
「わ、わたしが行く」
と、二葉がおずおずと手を挙げた。
「行くことなんかないよ。三葉が言うとおり、あたしたちはだまされたんだ。バカみたい。お揃いのセーラー服を着せられたの、喜んだりして」
「そんなこと言わないで四葉、これは特別な服よ」
二葉は、セーラー服にずっとあこがれていたのを知っている。普段着が動き易いもんぺか丈の短い着物で、精一杯のおしゃれが袴だ。二葉は教室の鴨居に飾られた、モノクロ写真の女生徒の集合写真をいつも見上げていた。
「わたし、神さまに会いたいの。そのために私たちは選ばれたんでしょう」
「ちがう、だまされたんだよ。三十年に一度の選ばれし乙女とか、とんだでっち上げだ」
げんに一葉は死んでしまったじゃないか。特別な儀式が聞いてあきれる。
二葉が首を振ると、長い三つ編みのおさげが揺れる。
「わたしは雲の上までいきたい」
二葉は両手の指を胸の前で組み、空を見あげた。そしてあたしが肩に乗せた手をそっとよけて、二葉は銀の梯子にとりついた。
「むりだよ、二葉は私たちの中でいちばん体力がない……」
三葉が唇をかんで梯子を一段一段登っていく二葉を見つめた。
五つの高い鉄塔に囲まれた、五つの村。それがあたしたちの暮らす土地だ。ひとつひとつの村に鉄塔があって、五つの鉄塔はワイヤーでつながれている。鉄塔には横木が三本出ていて、それぞれワイヤーが通されている。ワイヤーは計三本。それで大きな五角形を作っている。
自然がおだやかで「外」で起きている戦とも無関係に暮らせるのは、五人の神さまが鉄塔の上から見守っているからだと教わって育ってきた。あたしは生まれてこのかた「嵐」や「地震」「大雨」「吹雪」はもちろん、「日照り」「冷夏」も知らない。
春夏秋冬、いつでも穏やかな気候で、毎年豊作。飢えることなく暮らしてきた。もちろん、そのためにみんなで農作業に励まなければならなかったけど。あたしたちは、鉄塔の神さまにいつだって感謝の祈りを捧げていた。
そして、三十年にいちど神さまに拝礼するための四人の乙女が選ばれる、それがあたしたちだ。乙女に選ばれてから生まれたときの名前は捨て、一葉、二葉、三葉、四葉と名前を付け替えられた。あたしたちは一年前から教場の寮に住んで準備をしてきた。
集落から山のふもとのお社までバスで来た。普段は歩きか自転車だ。バスなんて、生まれて初めて乗った。四人ではしゃいで、うわさに聞いていた車酔いにもならなかった。
お社まで来ると普段は遠くに見えている鉄塔が、ぐっと近くになった。思っていたよりはるかに大きくて、まるで物語の中の巨人が立っているように見えた。
昨夜の食卓には今まで食べたことのないご馳走が並んだ。めったに口にしたことのない、ハムや鮎飯。それから甘いお菓子。早起きして、また豪華な朝ごはんを食べて、緑の葉が幾重にも生い茂る五月の新緑の中を歩いて移動した。何も知らずに歌いながら、おしゃべりしながら。
鉄塔の下まで来ると、その大きさにあたしたちは息をのんだ。四本の足の間はそれぞれどのくらいあるのだろう。どっしりと地面に固定され、てっぺんはというと低く垂れこめた黒い雲で隠され、まるで見えなかった。
風が吹くと、三本のワイヤーはうなりをあげた。それだけでも、足がすくみそうになった。
鉄塔の周りは、五メートルはあると思われるコンクリートの壁で囲まれていた。鉄塔の下までいける扉は一つだけ。腰の曲がった姑(おば)役が鉄の扉の鍵を開けた。人一人がようやくくぐれるような扉の先には、塔だけがあった。
わけも分からず塔を私たちが見上げていると、背後で扉が閉まる音がした。閉じこめられたのだ。 四人で必死に扉をたたいていると、天から声がした。
塔を登り切った者には褒美をとらす、それは不老不死の座だという。
「わたし、やる。こんなの楽ショーでしょ。登るだけだもん」
腰までの艶やかな髪をなびかせ、一葉は鉄塔の梯子に取り付いた。梯子は華奢で今にも折れそうに見えた。けれど一葉が踏み抜くことなく、どんどんと登っていった。
「いちは」
「戻って、戻ってきて」
あたしたちの声は届かなかった。塔の半分にもみたないところまで一葉が到達したとき、鋭い稲妻が空を走った。ドーン、という音とともに閃光で目がくらんだ。
目を開けたあたしたちは、無惨な姿に変わった一葉を地面に見つけた。
「一葉!」
一葉はこと切れていた。
これが儀式だなんて。
あたしらは、だまされたんだ、と気づいた。 逃げられないように閉ざされた扉、塔の上からのどこか楽しげな声。
あたしたちは生け贄だ。塔の上までなんて登れるはずがない。
それなのに、二葉までが登るなんて。
強い風にあおられ、二葉のひだスカートがめくれる。梯子をつかむスピードが明らかに落ちている。もう腕も足も疲れてしまっているはずだ。それでも二葉はときおり上を向き、塔の先端を目指していく。
あたしと三葉はお互いの手を握りあい、固唾をのんで二葉を見守っている。
塔のてっぺんに渦巻く黒い雲から、真下に雷が光った。あっと言う間もなかった。二葉の手が梯子から離れた。
「二葉!」
衝撃音とともに、手足があらぬ方向に曲がった二葉が地上にいた。
駆け寄るまでに、二葉は血を吐いてそれきり動かなくなった。肉と髪が焼けるにおいが充満する。
泣き崩れるあたしを三葉が支えた。
「ねえ、四葉聞いて」
三葉はあたしの涙を拭いた。
「……わたしが成功したら、四葉は壁の外に出られると思う」
そこから、三葉はひとつの考えを話し始めた。
「三十年ごとに四人の女子が鉄塔を登ったとして、全員失敗もあったろうけど、もしかして中には四人目まで行かずに成功したことがあったかも知れない。それで、生き残った人は姑役になるんじゃないかな。鉄塔の秘密を知っているから、村では暮らせないと思う」
姑役の人は、ふもとの社にいた。私たちの母役よりも二十くらい年を取っているように見えた。単なる世話役だと思った。実際、配膳や片付けをしていたから。だから、急な山道を登って、まさか鉄塔までついてくるなんて思わなかった。曲がった腰で杖をついて、楽ではない道をついてくるのが不思議だった。
それでも、鉄塔の足場に入る扉の鍵の担当者だった。それって、大切な役目じゃない?
「だから、わたしがうまいこといったら、四葉はここから解放される」
三葉はスカートのポケットから見慣れないピンを取りだすと、あたしの短い前髪をとめた。
「これ、姑役から渡されたの。お守りにあげる」
三葉はあたしにそう言うと、梯子に足をかけた。
「四葉、この上にいるのは、神さまじゃないかも知れない」
「そうだよ、こんな酷いことするの、神さまなんかじゃない」
涙をぬぐいながら応えるあたしに三葉は首を横に振った。
「神さまの数え方、知ってる? 柱っていうのよ。わたしたちはいつも、【五人の神さま】って教わってきた」
あたしの涙は止まった。人、なの? この上にいるのが?
「まあ、分かったら教える。わたしたちが生贄なのか、挑戦者なのか」
運動神経のいい三葉は、あっというまに鉄塔の一本目のワイヤーの下まで行ってしまった。
三葉は吹き付ける風と雨にもひるむことなく、ぐいぐいと梯子段をつかんで登っていく。じき雲に隠れて見えなくなった。けれど、空に光の鉤裂きが現れたと思うまもなく、今まで一番激しい雷鳴が地面を揺るがした。
「三葉!」
三葉の体が、いくつにもちぎれ空から降り注いだ。あたしは悲鳴をあげた。
「みつは、みつは」
思わずかき集めた体は三葉には戻らなかった。
鉄のにおいにまみれ、セーラー服は血と雨を吸って重たくなった。
「チャンスはあと一回です」
天からの声は軽やかで愉快そうだ。あたしは梯子に向かって行った。鉄塔を囲む塀からは出られない。ここで飢え死ぬか、鉄塔へ登って死ぬか。選択肢はどちらも「死」だ。
あたしは短い髪を撫でつけるように指ですいて、ピンをとめなおした。あたしが登ってやる。最後まで登る。
鉄塔の梯子の下へ来ると、てっぺんは遙か先。雲に隠れて見えない。でも、登らなきゃ。
細いアルミの梯子は、鉄塔にしっかりと溶接されてあった。一段一段が歩幅にちょうどいいくらいだ。スカートが邪魔にならないように、ウエストでまくりあげ短くすると、あたしは梯子に足をかけた。
底が薄いゴムの運動靴には、細い段が食い込む。ほんの数段で本格的に痛み出した。みんなこんな大変なことをして登っていったの? あの小柄な二葉さえ。
それでもかまわずに手足を動かして、上へ上へと登る。登るほど、吹く風は強く寒くなっていく。横殴りの雨で、手や足が滑る。どれくらい登っただろうか。もう怖くて下を見られない。下りるのも怖い、登るのも怖い。休んでしまったら、きっとそれきり体が動かせなくなる。
止まるな、とまるな、トマルナ。
止まったらだめだ。死んでいったみんなの無残な姿が脳裏をよぎる。
昨日まで、みんなで楽しく過ごしていたのに。
寮の一部屋に集まって、一葉はラジオの流行歌に合わせて恥ずかしがる二葉の手を取って踊って、本を読んでいる三葉が「静かにして!」って怒って、でもしまいには仕方ないなあってため息ついて。あたしが給食室に忍び込んで作ってきたおにぎりを四人で食べた。
「母役に見つからなかった? 毎度四葉の度胸には驚くわ」って、三葉が目を丸くする。
そんなことは、もう二度とできない。
あたしも、死ぬの? 死にたくない。
死にたくないなら登るしかない。登って、神さまの頬に平手の一発もくらわせなきゃ気がすまない。
手がかじかむ。次の段に伸ばす指がふるえる。手指が開きも閉じもしない。鈎の形に固まった手を段にひっかけて体を引き上げる。
風、風が寒い、雨はもう霙から雪に変わっている。手も足も感覚が遠のいていく。まるで、もうひとつの梯子がとなりにあって、そこを登る自分を見ているような気がする。
あと少しだ。苦しい息を吐きながら、すでに動かすことが難しくなっている首を上に向ける。黒い雲の向こうに、金色に輝く輪が浮かんでいる。
「なに?」
あたしの足が止まった。丸い輪が回転を始めたかと思うと、輪は鋭い光をまとって塔のてっぺんから落ちてきた。
雷だ! 落ちる、真っ逆さまに落ちてしまう。激しい雷鳴と目が眩むほどの光。あたしの手が梯子から外れた。
「あっ!」
体が宙に投げ出される。悲鳴すら出ない。もうだめ。きつく目をつぶった。地上に引っ張られる刹那、あたしの体は突風で梯子にぶつかった。しゃにむに細い梯子の横木を掴んだ。掴んだ手が滑って、二段三段と落ちる。
五段ぐらい落ちただろうか。がくんっと、体が止まった。心臓の鼓動が大きすぎて、梯子に掴まっていても体ごと揺れるような気がした。
がくがくと震えながら、足を再び段の上に乗せる。しっかり乗ったのを確かめて、また上を目指す。
がむしゃらに体を動かす。金の輪がまた回る前に、てっぺんに着いてやる。二本目のワイヤーを過ぎ、三本目のワイヤーを過ぎ、それから、それから……。
どれだけ梯子を登っただろう。頭がとつぜん、黒い雲を突き抜けた。目の前にレンガが敷かれた床があらわれて思わず二・三回まばたきした。
「ここまで来たら、合格だわ」
セーラー服の少女が片頬で笑ってる。少女が二の腕をつかんで、あたしはぐんと鉄塔の最上部へと引き上げられた。
少女はあたしと同じくらいの年恰好だった。セーラー服を着ているのもあたしと同じ。少し浅黒い肌に細身の体。走らせたら早そうだ。特別な子には見えない。ただ、髪は真っ白なおかっぱだ。
疲れすぎて声も出ず、はいつくばっているあたしに、少女は笑いかけた。
「ようこそ、待ちかねたよ。地上では六十年も経ったろう」
腰に手を当て、それこそ鉄塔のように立つ姿は、神さまというより三葉が話していたとおり人に見えた。
「さあ、玉座にお座り。今日からお前が神さまだ。年を取らない、病気やケガもたちどころに治る、不老不死になる」
少女がわざとらしいくらい、うやうやしく頭をさげた。
「あ、あ、なんで」
喉が渇き過ぎて、うまく声が出せない。
「わかる、わかる。聞きたいことが山ほどあるんだろう。なんでこんな鉄塔なんか登らなきゃいけなかったのかとか? どうして友だちを殺したのかとか?」
あたしは激しく咳をしながらうなずいた。
「ざんねん、理由は聞かれても答えられない。ただ、わたしの髪が白くなったから、そろそろ交代の時期が来ると思っていたんだ」
少女はあたしの髪のピンをそっと外した。
「……四枝のピンだね、ありがとう。わたしは三枝。あなたの名前は?」
「よ、四葉」
意味も分からず答えると、少女はうなずいてピンを髪に飾った。
「じゃあ、わたしは行く」
少女は床の端に両手を広げて立つと、にっこりとほほ笑んだ。
「あっ」
信じられないことに、少女はそのまま後ろ向きに身を投げた。
とつぜんあたしの体は【落ちていった】
落ちる、落ちていく、あたしの目は少女の目になっている。黒い雲、光の輪、華奢な梯子。すべてが一気に視界を流れ、そして。
少女は墜落した。
鉄塔の下に、四人の少女の遺体がある。今のあたしには見える。
鉄の扉が開いて、姑役がよろめきながら【神さま】のもとへ駆け寄る。
下界の混乱を目にしながら、あたしの気持ちはすうっと冷たくなっていった。
――玉座にお座り、今日から――
「あたしが神さまなんだ」
あたしの住む土地には、五つの村がある。一つの村に一つの鉄塔があって、鉄塔はすべてワイヤーでつながっている。
鉄塔の上にいて分かった。ワイヤーで囲まれた五角形の内側の平和は、五人の神さまたちが守っていたのだ。
違う、天災も砲弾も、すべてあたしたちが防いでいるんだ。
嵐が来た時には、あたしの手足は折れた。砲弾が雨のように打ち込まれたときには、あたしの体は穴だらけになった。
どんなに体が傷ついても、死なない。時がたてばいつの間にか治る。
姿は15の時のまま、まっさらなセーラー服を着たままだ。
けれど、痛みまではなくならない。
手足が折れたときの激痛も、砲撃の衝撃で体が半分ちぎれたときも、どれほど泣き叫んだことか。
悲鳴も、泣き声も、下の者たちには届かない。
おまえたちが安穏と暮らせるのは、あたしたちが痛みを一身に背負わされているからだ。
他の鉄塔に住まうものとは互いに顔も知らない、声を交わすこともない。でもきっとそれぞれ、下の者たちを呪っただろう。
バラバラの体を何度も何度もよみがえらせ、絶望の朝と夜を繰り返した。春夏秋冬、春夏秋冬。幾度めぐってきたか忘れたころ……ある日、下のほうで物音がした。
少女たちの声がかすかに聞こえた。あたしは嬉しくて椅子から跳ね起きて叫んだ。
「15歳のまま、ずっと生きられるよ。不老不死になれるのは一人きり。早く梯子を登っておいで」
少しの間があって、誰かが梯子を登り始めた。
カンカンカン……。
あたしは胸のときめきが止められず、腕を振り上げた。とたんに雷が鉄塔を打った。
悲鳴があがる。きっと梯子から落ちたのだ。少女の悲鳴。なんてわくわくするんだろう。
あたしは鉄塔の上から声をはりあげた。
「チャンスは残り三回です!」
さあ、登ってきて。生贄になるか、神になるか。
そのどちらにもなれるのだから。
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