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僕は富士山を見ている。
急にむなしさがこみ上げてきた。空は薄い灰色のかった水色。
もうすぐ日没だけど、この位置からは夕陽は見えない。冬はずっとそうだ。いちばんきれいな日没を僕は見ることができない。上階だから強い風が吹く。
世界に音色はなくなった。
背骨から寒さに震えた。
悲鳴を上げた彼女の顔。ひきつった醜い顔。山県有紀の顔。
ドアを開け放って、焦った僕はすぐにポケットの中のものを目の前に突き出した。すぐに失敗したのだと悟った。そこにいるのが彼女であることは、左右に視界がぶれながらも、すぐに分かった。
今日は水曜日。全校の部活動が休みの日だった。
熱心な部長たる山県有紀は、僕などのためにも家を訪ねてくるくらいの高い意識を持っていた。
彼女は僕を憎むだろう。彼女に怖い思いをさせたためではなく、あれほどの醜い表情を僕に見せるはめになったことで。
明日登校したら、僕に関する噂話が耳に入るかもしれないし、教師の呼び出しがあるかもしれない。
いやもしかしたら、もう帰宅した春奈さんが警察の訪問を受けているかもしれない。
世界に音色はなくなり、ただ惰性の連続のような日々が来ることを僕は悲しんだ。
それでも、こう思う。
有紀を刺さなくてよかったと。
(了)
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