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――胤夢はベッドに倒れたまま、深い眠りに落ちた。そして、暫く意識を失ったように寝ていると急に目が覚めた。身体を起こして壁に飾ってある時計を見る。するとあれから1時間くらい、自分が眠っていた事に気がつく。
起き上がってベッドから離れると、着ている制服を脱いで私服に着替えた。そして、家政婦に呼ばれる前に部屋を出ると階段を降りて一階の食堂に向かった。
中に入ると暖炉の火は灯っていなかった。そして、シンと静まり返る部屋の冷たい空気を肌で感じるとさっきの彼女の様子が気になった。
「……おかしい、夕飯の支度がまだない。いつもならテーブルにお皿が並べてあるのに」
何故か胸騒ぎを感じると其処から離れて、調理場に居る彼女の様子を見に行った。向かう途中で廊下の床が不気味に軋む音が響く。胤夢は不穏な空気に、自分の腕を軽く擦ってゆっくりと歩いた。そして、彼女が居る調理場に着くと中の様子を黙って覗く。
ダン、ダン、ダン!
何かが力強く刃物で切られていく音がした。彼女は台所に立ったまま、野菜を黙々と切っていた。離れた所から後ろ姿を見ていると、彼女が普段通りの様子に見えた。其処で胤夢は彼女に声を掛けようと後ろから近寄ろうとした。すると自分の足下に切られた大根がゴロゴロと一つ転がってきた。
「……!?」
足下に切られた大根が転がって来ると、それは一つだけじゃなかった。床には切られた野菜がバラバラに切られて落ちていた。その異様な光景に息を呑むと、その場で一歩下がって様子を伺う。
ガスコンロの上には、沸騰した鍋がグツグツと音を立てて泡立っていた。彼女はそれすら気付かないほど野菜を切る事に夢中だった。
「ああ、なんでなんで……」
彼女は包丁を握り締めながら、ブツブツと独り言を囁く。その不気味さを胤夢はただジッと見ていた。頭のてっぺんに結った髪は、乱れた様子で腰まで下ろしていた。そして、髪をゆらゆらと揺らしながら彼女はボソボソと囁く。
「ないわよ……。旦那様は私だけのよ、どうして他の女なんかに旦那様は……。渡さない。渡さない。あの人は誰にも渡さないんだから…――!」
ダンと音を立てて、鋭い包丁で人参を真っ二つに切った。まるで自分の怒りと嫉妬をぶつけるように、野菜を雑な形で細切れにして手荒く切り続けた。その常軌を逸した彼女の異常な姿を見て、胤夢は自分の身近にいる相手が段々と壊れてく様子をただ見ていた。
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