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「――ねぇ、園咲君。昨日とこないだの生物の授業を出なかったね。どうしたの?」
音楽室に行く最中、廊下を歩いていたら眼鏡を掛けた男の教師に捕まった。生物の担任に見つかり、黙って答えなかった。
その教師は宮村と言った。いつも授業中、人を舐め回す視線で見ていたのが分かっていた。だからコイツは苦手だった。話し掛けられても無視していたら耳元で囁いた。
「……君、出なかった分だけど帳消しにしてあげてもいいよ。単位欲しくない?」
その一言に相手の顔を見ると、クスッと笑って返事をする。
「先生、それって何をすれば良いですか?」
上目遣いをして妖し気に微笑む。そして、然りげ無く男性教師の胸元を人差し指でゆっくりと下に擦った。その仕草に宮村はゴクリと生唾を飲む。
「――先生、生物の授業を続けて勝手に休んでごめんなさい。こないだはピアノのコンクールに出てたから学校は休んでたんです。それに昨日は体調が悪くて、出れませんでした……」
「そっ、そうか……」
男性教師は周りを見ながら咳払いをした。俺は相手の手を取ると親指を噛んで見せる。
「ねぇ、これで許してくれます?」
そう言って指先を舌でペロッと舐めた。その瞬間、宮村は感じたような表情をした。それを見て妖艷な声で耳元で囁く。
「放課後、生物室でなら良いですよ――」
自分から男性教師を誘った。宮村は『分かった』と返事をすると、俺から離れて何処かに消えて行った。その後ろ姿を見てクスッと笑う。
――こないだ休んだのは本当の事だった。幼い頃、父さんに勧められたピアノ。初めは好きで弾いてた理由じゃない。ただ、あの時はあの人が褒めてくれるからピアノを弾いてただけだ。
いつも家に居なくて、アトリエにずっと行ったきり帰って来るのも少ない。絵を描く事に忙しかった父と長く居られたのはピアノの時だけだった。
その時だけが、親子が一緒に居られる幸せな時間だった。ピアノが上手く弾けると、あの人は俺の頭を優しく撫でて褒めてくれた。
それが嬉しくて嫌なピアノも続けられた。俺はただ、父さんに普通に愛されたかっただけだ。なのに、あの人は急に居なくなった。それが俺は悲しかった……。
今はもう、別の何かだ。
突然、変わってしまった父。俺はどうしたらいいのか分からずに戸惑うしか無かった。ピアノも弾くのが嫌になって、何度もやめようとした。それでも自分にはそれしか無くて、今もピアノも続けている。どうして今も続けているのか、その答えを俺は知らない――。
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