65人が本棚に入れています
本棚に追加
――あの時、保健室で彼女に『デート』をして欲しいと頼まれた。断る事も出来たのに、俺はそれを何故か断らなかった。
少女の純粋な思いが断る事を躊躇わせた。そして、自分の中で別の選択肢もあるんじゃ無いかと感じた。
完全に人との繋がりを切った世界で、このまま静かに生きて行くつもりだった。普通じゃない俺には、その方が合ってる。誰かと話したいとか、誰かと一緒に居たいとか、人が恋しいとも思わない。ただそっとして欲しいだけだ。
それなのに俺は一体、何に期待しているんだろう。これが自分にとって、最善の選択肢と呼べるのだろうか……。
「沙原茉優か――」
不意に彼女の名前を口に出すと、隣でプリントの山を持って運んでいた羽柴に聞かれた。
「何々? 今何て言ったんだ? お前今、女子の名前言っただろ?」
「うるさい……!」
「間違いなく沙原の名前言ってたよな? 俺にはそう聞こえたぞ?」
「黙って歩けよ……!」
隣で羽柴がしつこく聞いてきた。それを無視して、黙ってプリントを両手に持ったまま運んだ。よりによって休み時間に、廊下でコイツと遭遇したのが運が悪かった。
羽柴は数学の宿題を連続やらないで、それが教師にバレて職員室でこっぴどく叱られた。その所為で数学のプリントを教室まで運ぶという罰を受けた。
その運ぶ量がすごかった。羽柴は両手でプリントの山を一人で運んでいた。其処でたまたま職員室に用事で来て、教室に戻る俺を見つけて声を掛けられた。
まさに運が悪い。
はじめは無視して前を歩いていたが、後ろで人の名前をデカい声で呼んで騒ぐものだから、仕方なく手伝う事にした。でないとコイツは廊下で人の名前を平気で呼び続ける迷惑な奴だと知っていたからだ。
羽柴と重いプリントの山を半分にして運ぶ。自分は、コイツが数学の宿題をやらなかった事に関係ないのに理不尽だ。運悪く、こんな相手と隣の席になった事を恨んだ。どう見ても俺と羽柴は正反対だ。絶対に気が合う筈がないのに。
「やっぱり持つべきものは友だよな、貴也が隣の席で助かったぜ! こうして運ぶの一緒に手伝ってくれるしさ〜、もうお前のこと好きになりそう!」
アイツは擦り寄って来ると冗談半分で言ってきた。ウザい絡みに、迷惑そうな顔で言い返す。
「前も言ったけど気安く人の名前を呼ぶな、馴れ馴れしい。誰が友だ、誰が。そんなのこっちから断る!」
その一言に羽柴は立ち止まると不敵な笑みを見せた。
最初のコメントを投稿しよう!