1. 父、蘇る

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1. 父、蘇る

≡令明9年弥生3日≡  葵は息苦しさから目を覚ました。  花の香に埋もれて窒息死寸前であった。顔の周りに集められた花がさわさわ揺れて、鼻がくすぐられるのもたまらない。  そこで花を取り払おうするも、なにやら箱の中にでも閉じ込められたらしく、寝返りひとつ打てない。真っ暗闇な視界も何か妙だと思う。両手は胸の上で組まされて、何か持たされている。形から察するに扇だが、寝るお伴が扇というのは、どんな流行なのか。抱き枕のほうがよほど安眠に貢献するだろう。  だが今このときばかりは扇がありがたいのも事実。扇を縦にして、下から天井を突いてみる。  トントン、トントン 「誰かいませんかぁ~開けてくださ~い。誰かぁ」  と、必死に声を出すが、寝起きで声が掠れでる。  何をしたらこんな目に遭うのかと腹を立ててみても、どうしたわけか昨日のことが思い出せない。それどころか名前以外、自分について頭に浮かぶものが何一つないときている。  寝起きで思考が鈍っているのだろうな。そうに決まってる。  根気よく扇を突き続けていると、外から声が聞こえてきた。身体がふわっと浮いたかと思うと、直後には沈む感覚に陥った。どうやら箱が下ろされたらしい。  やがて顔の上にあったらしい扉が開かれて、人影越しに、焼けただれたような空が目に飛び込んできた。妙に禍々しい空の色に、葵は知らず悪寒に打ち震えると、鼻がむずむずしてくしゃみをした。蓋らしきものに身体をぶつけたが、開けてくれる気配がないので自分で押しのけた。 「ぎゃああああぁぁぁあ」 「うわああ生き霊だぁ……っ!!」 「見てはならぬ、目が潰れるぞ!!」  突然四方八方から悲鳴が上がり、葵のほうが動けなくなった。  生き霊だの目が潰れるだの、ずいぶんな言われようだ。いったい何が起きているのか。行列のはるか前方に、儀礼用の長い黒槍を掲げる先導隊が見える。その後ろに続くのは白装束と楽隊のようだ。  風に乗り、厳かにも雅な楽の音色が流れてくる。彼らは後方の騒ぎに気づかない様子で、演奏を続けている。太鼓、龍笛、銅拍子(どびょうし)(しょう)(そう)。伝統楽器を使った中世のころの楽曲だろうか。  葵は戸惑いながら、その場に立ち上がった。  逃げ惑っていた人々が一斉に平伏していく。数百[[rb:否 > いな]]、千はゆうに越えるだろう。りょうりょうと風が吹き渡る原野に、実った作物のように頭巾頭が並び、焼けた雲の影に飲まれていった。  葵は首がもげるほどに傾げさせた。ここがどこなのかもわからないし何が起きているのか、推測すら無理だった。自分のことがわからなくても、己が世界ではないことだけは確信がある。  ふと足元を見れば、閉じ込めていた物に気がついたのだが、漆塗りの美しい舟なのである。どう考えても柩にしか見えない……と結論づけたところで、一旦思考停止。  ひゅぅぅ…………風が(すさ)ぶる。  葵の格好もまた真っ白で、死装束というものだった。衣袖や裾が風にあおられるのを見、少し悩んだ末にその場で飛び跳ねをする。生き霊なら、飛べば刹那に空へ舞うかと思いきや、重力に逆らわずに落ちてくる。よし、生身だ。問題なし。  馬に乗った武人らしき者たちが数人現れた。先頭の男が鋭い眼差しで葵を眺め、命令しなれた人間のそぶりで一言二言発した。  平伏す大勢の人々が怪異だと怯え戦慄く中で、彼だけは颯爽としていた。その恰好は平安時代の公家装束に似ているが別物だ。洋服と融合して洗練されている。それに平伏す人々と明らかに身分が違う。一言で言えば上等で、歩き方も仕草にも品が漂う。 「……まさか、生き返られたのですか」 「えっ、なに? おれ死んでたの?」  しばし二人の間に風が吹いた。  葵は狂言を口にしたわけではない。ほんとうに知りたいだけなのに、 「雰囲気がまるで別人のようだ」  と、葵の言葉は無視されて、別の情報が加わった。  彼にとって葵の異様(ことざま)は生き戻ったことより重大らしいが、まあそうだよねと思う。雰囲気が違うは絶対別人だから。  それにしても目の前の男は葵の知るどんな者とも違う。顔つきだけならばこの原野風景に合わない今風イケメンだが、髪はぬばたまの夜のように艶々していて、形が独創的だ。長い髪を後に垂らし、美しい組紐のような物でまとめられ、前髪は額で左右にわけてあるが、垂髪は一筋。銀細工の筒らしきもので髪を留めている。整った顔の輪郭にそこはかとない色気を感じさせる。特徴的なのは目の色だろう。人間離れした宝石のよう。琥珀色の瞳孔に青い虹彩の眼球など見たことがない。白皙とはこの男のための言葉だと思う。ガン見どころか、目から血が出る勢いで釘付けになる。             
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