2.おれ、何者?

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2.おれ、何者?

 目覚めて半刻ほど経つだろうか。葵は己の名前以外にわかったことがあった。  まず日本という国の生まれであること。どんな時代のどんな人間かまでは思い出せないが、日本国の常識や歴史がわかるらしいのだ。葵の知る日本であれば、柩を輿に乗せる葬列はしないし、移動手段の主役が牛や馬であった時代ははるか昔になりにけりだ。そのうえで、ここが日本の中世に似て非なる国であることは皮膚感覚でわかる。  問題はなにゆえ柩の中で目を覚ましたのか。死者は生き返らないのだから、検死が杜撰だった可能性が高い。  葵は強ばった首を軽く回すと、ふぅと息を吐いた。   「二見葵(ふたみあおい)と申します」  男は眉をピクリとさせた。 「知っております」 「あ、念のために名乗っただけ、間違いかもしれないからね……ぅん」 「狂言はそれまでにしてください。こうなることがわかっておられたのですか」  男はどこまでも冷ややかだ。  なぜか葵自身の仕業? だと思っているようだ。  よし開き直った。 「おれにもわかりません!」  葵はきっぱり告げ、美青年は氷点下の空気を醸し出してきた。  ひゅぅぅぅぅ  死装束は薄着らしく、身体が震えてくる。 「できれば、場所を移りたいです。それときみの名前、名前が知りたいです」  葵の言葉に、美青年が息を呑み、ゆるりと目を見開かせていく。 「幼名は、星丸と」 「かわいいね」  葵は思わず言ったが、彼は気に入らないのか反応を返さない。 「あ……でも大人になったのに、また子どもの名前で呼ぶわけにはいかないよね?」  葵は努めて明るく、軽く弾んだ。そうでなければ凹む。正気でいられない。  息子は少し物思いに沈んだ顔で告げた。 「では、通り名の静と」 「お、いい名前だね!」  葵は本当にそう思った。似合っている。  なのに静はきゅっと唇を結んで黙ってしまった。静からすれば、葵から幼名以外の名で呼ばれるのは違和感があるのだろう。  ん、まあね。息子の顔を見ても息子と認知できなかったのだから、不機嫌にもなる。  だけど……  ほんとうに父親と息子なのかな。違和感しかない。静を見ても、どんな会話をする父子だったのか想像つかないし、何より息子の年齢がおかしい。  おれのお肌、ピチピチなのよ。  十代ほどではないが、成人男性の息子がいる年齢だとは思えないし、ほんとうに人の子の親なら、肌ピチピチ中年だ。キモくないかな。百歩譲って子がいたとしても、せいぜい赤児くらいじゃないかと思う。 「あのぅ息子さん」  恐る恐る話しかけて聞いてみる。静と呼ぶと怒られそうなので、表現を変えてみた。 「おれの年齢だけでも知りたいかな」  美青年息子は冷ややかに応えた。 「亡くなられたときは111歳でした」  あぁ、そういう感じ──  ──て、納得できるかぁぁ!!!!  ギリ信じられる寿命なのが逆に恐いんだが、111歳がピチピチで甦ったというのに、息子のあっさりした反応は不自然だ。この蘇りには何か裏があるのかな。 「あのね、年齢がおかしいけど、言っていいかな?」 「はい」 「おれ一度も死んでなかったと思う。死んだことにされて柩に閉じ込められた……と思う。殴られた痕跡なかった? 後遺症で記憶が飛んだ可能性あるよね? 死んだ人は生き返らないから、検死ミス」  凜とした静の眼差しが揺らぎ、聡明そうな唇が躊躇いがちに開く。 「ご逝去は9年前の初夏、水無月でございました」 「へ?」  耳、どうなった? 「故あって、神域にてご遺体は安置いたしました。しかし如月25日に天の凶相あり、続く日隠れによる民の不安が暴動を引き起こしました。事態を憂慮した帝は、来る災異怪異に備えんがため、父上をアオイノカミとして奉るを決め、人の器から解き放つこととなりました」  それが9年も経ってから行う葬儀の理由らしいが── 「占いにより、葬儀は本日弥生3日、国中の神職に関わる者が祈祷に参加しております」  ──どうしよう、何を言われているかさっぱりわからない。  おれ、いったい何者? 「……9年間、肉体が腐らなかったってことだよね?」 「はい。新月、満月ごとに、わたしは一夜守(ひとよもり)をいたしましたが、何一つお変わりございませんでした」 「それおかしいよね。それにこの世界って、111歳でも若いの? おれ、かなり若いと思うけど」  葵の困惑が本物だと伝わったのか、自称息子の表情にも戸惑いがうつった。彼には疲れの色がある。葬儀の準備が大変だったのだろう。生前の葵は有力な貴族だったのかもしれない。 「父上は特別なお方でした」  あぁ、もうそういう感じね。 「年を経ても(くは)しく優艶なお姿は、天女もお隠れあそばすとたたえられています」  優艶、天女。誰のことだろうね…… 「お忘れですか?」 「あ、はい」 「天女とは、天冥ノ神が愛した乙女のことです。アカツキノハラにおいて最も美しい女に与えられる称号でもあります。葵の宮さまが下界に降りられてからは、誰もその称号を受け取らぬようになりました」  葵は困惑を通り越してぞっとした。己の貌すら知らぬことにも不安を抱いた。顔に触れてみるが、肌はやはり指に吸い付くようだし滑らかだしで、たるんだ肉もない。顎は細くたぶん小顔だ。自分の手が大きく感じるほどだ。  9年は、長い。  植物人間だったなら、生理現象は起こる。だが周囲は死者として安置したのだ。当然生理現象も止まっていたのだろう。  生命維持装置もなく、9年も眠り続けられるのは童話の世界だけだ。そして生き物は、死ねば腐る。植物だって土から根を切り離されたら腐る。枯れる。動物の場合条件がそろえばミイラ化するが、いずれにしても、変化していくものだ。  それなのに腐らずにいたというなら、それはもう、なんだ!? 「生き返りを本気にするの? おれが特別ってどういうことかな」 「父上は、霊山は不老長寿が花守(はなもり)一族、神郷(かむさと)のお生まれです」  根拠あった!  一気に情報が増えて、葵は受け止められなかった。やはり眠りから覚めたばかりで思考が鈍いようだし、記憶がない分考えさせられる。ひどく疲れることだ。何か甘い物がほしいなぁ、と思うほどには生理機能を取り戻してはいる。  うん。  それに一つわかったことがある。  月名(げつめい)が葵の知る日本の和風月名(わふうげつめい)そのままだということ。それならここはまったく知らぬ世界ではないだろうから、少し気が楽だ。
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