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4.鴉八衆
あわい大社の入口門までは約7キロ。大葬列なら二刻かかるが、馬で駆ければ半刻で着く。
とはいえ葵は手綱を握る静に腰を支えられてどうにか馬を跨ぐ体たらく、葵に合わせて馬の速度は緩やかなようだが、馬上からの眺めは遠く広く、不安定な高さとあって楽しむには怖い。大いに踏ん張らねばならなかった。
半刻をすぎても、殺風景な原野に終わりは見えなかった。おまけに黄泉原を出たときは陽が高く昇っていたのに、急に辺りが薄闇に包まれていく。
「先発ののろしも上がりません!」
黒蓮衆のひとりが静のほうに近づいてきて、声を張った。
「大巫が魂送りの祈祷をなされている。黄泉原に、死者の魂を閉じ込める結界ができているのかもしれぬ」
蹄の音に話し声がかき消されるが、話の内容は察することはできた。祈祷が、葵を警護する黒蓮衆も含めて足止めしているのである。
「本当に日が沈めば厄介だな。火を灯せ!」
馬で駆けているのにどうやって火を灯すのか。不思議に思っていると、後ろから静の手が伸びて、馬の角に火を灯したのだった。呪術が扱えるのか、そういうものなのか。まるで蝋燭のような扱いである。
葵は唖然となって、目の前で揺れる炎に目を剥いた。
「熱いですよ!」
手で触れようとしたとたん、静に叩かれた。
そんなやりとりからさらに半刻経ったころだろうか。
延々広がるばかりであった黄泉原に、突然終わりが見えてきた。
ゆれる火影は西の町と黄泉原を分ける通門の松明らしいが、西の彼方に、里山らしき高台に鎮座する宮殿らしきものが浮かび上がると、静が叫んだ。
「祈祷が止まったな! 先触れが到着したようだ! 一気に駆け抜ける!」
急に加速されて、葵は馬上でぐらっと揺れた。うわっと叫ぶ間に、静の腕が葵を抱え直した。
だが遠くに見えるそれは、どうみても蜃気楼だった。それも神社の社にしてはあまりにも壮麗な建築物だ。王の住まいかと思われるほどに。
本当に黄泉原を抜けられるのか。葵は心配になり、片手を伸ばして蜃気楼を指差した。前を向いたままでは声も届かぬだろうと大声で訊ねた。
「息子さん、あれなに!」
静が何か応えたが、案の定葵には届かない。
馬上での会話は難しい。
歯がゆく感じていると、馬の走りが自然な常足になり、静が屈むようにして言った。
「あれが、あわい大社です」
「へぇ、あれが社なんだ……豪華だね。聖職者が権力を持ってるの?」
「権力はありませんが、国を守護する立場ですので」
「ふぅん、じゃあ、帝は統治するけど、神のごとき存在ってわけじゃないんだ?」
「はい? 当然、そうです」
なるほど。
帝が神聖視される時代ではない、と。
気が緩んだそのときだった。
それは、突然起こった。
静が手綱から手を離すや否や、ひゃっ、虚空へ一閃、刀身が突き出されていたのだった。
強烈な殺気に戦慄く葵の首に逞しい手がかかった。
「父上! ………」
ぐいっと首を絞められて、葵は凍りついた。
なに!? まさか社に向かうというのは嘘で、途中で殺す気だったの!?
あぁそうだね、当然だ。9年も前に死んだ人間を、今さら迎えるはずがない。腐らずにいた化けモノだから殺せと命じられているのか。
「早く!」
怒声が降ってきた。何か急かされてる。
あっ、辞世の句か。9年前残さなかったのか、新たに必要か。ま、待て待て、今すぐは無理、教養がなくて思い浮かばない。
「いい! やるなら一思いにお願いします!」
「頭を伏せて!」
「ひっ、首を斬り落とすの!?」
「は!? こんなときに狂言ですか!」
「いえ、狂言のつもりじゃ」
葵を抱え直すように、静の腕が胸に回された。
その動きで首を絞められかけた理由がわかった。葵をしっかり抱きよせた結果、ズレただけだったのだ。
あちこちで馬が嘶き、にわかに騒々しくなった。何か奇っ怪な物が乱入してきたらしい。
馬の角に灯された火がいつの間にか消え、光景が一変していた。
どこから集まってきたのか、キツネに似た獣たちが腐ったザクロのような目を光らせ、腐液を垂らしながら、こちらめがけて襲いかかってくるではないか。ひゃっ、なんなのいったい!? 獣は薄ら光を放ち、その周りでは蛍火のような光がひらひら飛んでいる。
「悪霊!?」
「禍つモノです!」
静が手綱を引き、馬の腹を蹴って葵に告げた。
「わたしにしがみついてください。振り落とされぬように!」
「わかった」
今し方死を覚悟した──そんな大層な覚悟でもなかったが、獣に喰い殺されるのはイヤだという本能が奮い立った。即行動が正解の状況だ。
ところがだ。静にしがみつく方法がない。身体を捻れば無理な体勢になって、絶対に振り落とされる。
悩む間にあちこちで鬼火が揺れ始め、獣ともいえぬ嘲り嗤う声がこだまし、ひたすら神経を逆撫でしてくる。
「少将さま! 瘴気が濃い!」
「禊司より伝令! ハタレ・クツネと確認」
矢継ぎ早に報告が届く。葵は急いで装束の帯や紐をほどき、右へ左へと動く彼の胴体と、自分の胴体を一つに結んだ。
そのとき──
〝鴉八衆、ご助勢いたす〟
どこからか人間とは思えぬ怪しの声が響いてきて、虚空に大きな翼をはためかせる天狗らしきあやかしが集まってくる。烏天狗かとぽかんと仰ぎ見れば、それへ目を向けた静が、チッと舌打ちを打った。迫力だ。
助勢なら、あやかしでも助かるのではないかと思うのだが、静から尋常ならざる殺気を感じる。見た目は貴公子そのものだが、剣を持つと変わるらしい。
「頭目を抑えろ!」
「深追いはするな! 宮さまをお守りいたせ!」
馬が嘶き、加速した馬の動きに慌てて、頑丈そうな馬の首の横に手を添えた。目は開けていられなかった。埃だか血液だか体液だかが飛んでくるので、頭は伏せた。今、彼の意図がわかった。
ハタレ・クツネとやらのキイキィ喚く鳴き声が隣で、頭上で、足元から聞こえてくる。その度に静の刀が斬り捨て、どこからか紙らしきものが飛んでくると、ハタレの断末魔が葵の耳をつんざき、花火のように破裂して散った。
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