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5.父、照れる
一刻ほども戦っただろうか。禍々しい気配が消え、肌寒い夜の空気を取り戻すことに成功した。
「集合! 固まって移動する」
静が刀を鞘に収めつつ言った。
その刀は魑魅魍魎をも斬る神剣の類いらしい。小さい鞘に収めたとたん、刀身が縮んで短刀に早変わり。懐に収まる大きさだ。
すごい! 便利。
葵は内心興味を引かれた。見せて見せてと無邪気を装う空気ではない。
おまけに馬酔いしたらしい。安堵したとたん、吐瀉物を出しそうになった。死んでいたゆえ胃袋が空っぽだったのが幸いした。酸っぱい胃液が口の中に広がった。
黒蓮衆が再び集結するのに合わせて、静も馬を走らせた。葵は激しく乱れた鼓動のまま、急な噎せ返りに咳き込んだ。衣手に隠すと、静が心配そうに鎖骨辺りをさすってきた。
「少し我慢してください」
「うん、平気だよ」
「はい。それから火種が消されたので、灯り石をツノにつけてもらえますか」
「あかりいし?」
「太陽光を溜めることができる石です」
「おぉ、ソーラーライト的な?」
「そぉら?」
静が眉をひそめさせた。
「ん……」
そうか。馬の角と同じで、葵の知識は静のそれとは違うのだ。気をつけないと。
灯り石はクリスタルのように透明で強い光を放って。辺りを煌々と照らした。
「最初から灯り石を使えばいいのに。さっきまで、松明だったよね?」
「はい、夜は火を焚くほうが安全なのです」
「そっか! 獣は火を嫌がるというから、魔物も同じなんだね」
「獣は別に火を嫌がりませんよ? むしろ近づいてきます」
「そうなの?」
「有効なのは禍つモノに対してだけです。それと、魔物とは別物です」
「違うの?」
「はい、禍つモノはこの世とあの世の境、あわいに棲む、人の魂の成れの果てです。今はきちんと説明する暇がありません」
アレが人?
葵の目にはヤバく光る獣にしか見えなかった。
いろいろ常識を学ばないといけないようだ。
「何も知らなくてごめん」
「いえ、目覚めたばかりでは混乱もありましょう」
静はどうやら、この状況を一時的な混乱だと思いたいのだろう。
失望させちゃうだろうな。本当に記憶を失ったのだとわかったら。
「がんばるけど、前のおれに戻れなかったらごめんね」
と、葵は申し訳なさもありつつ、頼もしさににっこり微笑んだ。
すると、静は虚を突かれたようになり、なぜか目を逸らしてしまった。
静のその表情の意味は葵にはわからなかった。
静は隊に指示を出して、隊列を仕切り直している。襲撃はされたが、黒蓮衆はみな揃っていた。よしよしひと安心だね。
「鴉八衆さんは?」
と、葵は辺りを見回しながら静に訊ねた。
「すでに去ったかと。気配を感じませぬので」
「そうなんだ。すぐ来てすぐ帰った感じ?」
この世界にいる魔物あやかしの類がわからないが、白と黒の二色の翼が愛くるしくて、童のように見えた。人のように話せるらしいので少し興味があったのだが。
「どうして気になさるのですか」
と、夜気より冷たい声音で問われて、葵は黙るが吉とみた。沈黙は金なのである。
「道が現れました」
と静が葵に言った。
道は目の前にあったが、どういう意味なのか。葵に見えている道とは違うのだろう。
静の一声で、黒蓮衆に安堵の空気が流れた。
「今度こそ、一気に大社へ向かいます。父上、わたしのほうに向きを変えて、落ちないように、今度こそ胴にしがみついてください。さっきのように襲撃を受けると、戦えません」
「ごめん。一応紐で縛ったんだけど」
二人をつなげた命綱は一瞬で緩んでしまった。葵からすれば、彼は十分剣を振るっていたように見えたが、本来の動きではなかったのだろう。
そのうえ、
「その衣の乱れは……」
と、灯り石に照らされた葵の姿に、静は半ば絶句した。
ひどい恰好だった。衣がはだけて胸も足も素肌がさらされ放題、寒さに鳥肌が立つので震えてもいた。
「なんと手がかかることだ」
静の容赦なき呟きが、しっかり葵の耳に届く。
呆れたのか見かねたのか。彼は己の衣の内側に手を入れるなり、紺地に柄のある内衣をシュルシュルっと抜き取った。
「このような物しか用意できず、申し訳ございませぬ」
と、低く硬い声で言いながら、葵に羽織らせる。
ふわり香りが匂い立ち、今の今まで着ていたから温かくもあり、ほっとした。
「ありがとう」
袖を通そうともぞもぞ動き出したら、何が気に触ったのか、今度は羽織を奪われた。
「宮さまがご自身でなさる必要はありませぬ」
と、ピシャリきた。
う……
どうしろというのか。手間がかかると文句を言った口で、自分でするなと言うのだ。
ならばと静に任せると、
「死装束のままでは死人のようです」
と、不機嫌丸出しの声で言いながら、手際よく死装束を剥ぎ取り!? 全裸にした上で、紺地の衣を着せたのだった。背丈のある彼の衣だから、上衣だけで葵の膝下にとどく。儀式用らしい広袖の衣は、袖留の飾り紐があり、それで調整するようだ。
「大社で新しい衣をご用意します。それまでのご辛抱です」
何から何まで、本来なら葵自身で指示を出すべきところだろうが、今は息子だけが頼りである。
衣は肌触りのよい絹で、しっかり香が焚き染められていた。クンクン袖を嗅ぐと、柩の中で噎せ返っていた香と同じだった。花の種類は知らないが、季節の花なのだろう。だんだんなじみだしているから、もうお気に入りに昇格しよう。
先導隊が馬に鞭を打って走り出した。
静は自分の馬の首を撫でながら、頼むぞと話しかける。
葵はコホンとわざとらしく咳払いをした。相手は息子なのに、まるで抱き合う形で胴体に両手を回すのだから、気恥ずかしさしかない。
「ねえ、おれ、後ろに移ろうか?」
「後ろではわたしが受け止められませぬ」
うん、落ちる前提の話だった。
落馬して首の骨を折ったら即死だ。怖い。振り落とされないようにしがみつくと、硬い胸板に顔をくっつけることになって、トクントクンドクドクドク……、鼓動が狂い鳴く。そうだ! 丸太だと思おうと立派な木の幹を想像するが、若く逞しい体つきが生々しい。
いやいやいや丸太だから。こいつは丸太の息子で、おれ今120歳。
自分の年齢を忘れないよう胸に刻む込む。120、120、120……ぶつぶつ唱えながら胸板に額をこすりつける。
「み、宮さま、くすぐらないでください」
静の発声にあわせて胸筋が上下し、自分の物ではない鼓動がドクンと跳ねるのが伝わった。
自分の胸に刻むはずが、息子の胸に刻んでいた。
ごめんねと、もごもご謝ったものの、宮さまと呼ばれたことには少なからぬショックを受けた。
静がとっさに口をつくのは、父上ではなく、宮さまだ。
親しい父子ではなかったのだろう。父上と呼ばれてもしっくりこないわけである。
でも、せっかく生き返ったのだ──便宜上そういうが、父と子の関係を改善するという前向きな道もある。
今なら仲良し父子になれそう、か?
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