『 家族 』

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「ほぉ、じいさんが建てたアパート? 」 そう、志井良さんの家に来た本題に入った。 お祖父さんは数年前に他界しているようだった。 「はい、もう築五十年を過ぎてるんですけど、立派なしっかりとした建物です、敬服しました」 「イチが設計すんのか? 」 「依頼を受けたんですが、親父さんと建史に訊いてからと思いまして」 「俺らに訊く必要なんかないだろう? 」 「お祖父さんが建てたものですし、あれだけ立派な建物を取り壊すのを、自分一人で決めてしまうのは荷が重いです」 「重要文化財でもなんでもねぇのに、そんな気ぃ遣うことはねぇよっ!でもアパートの設計なんて珍しいな、イチ」 わっはっはっは!と豪快に笑いながら言うお父さんの言葉に、僕も同じように思った。 僕が知っている限り、戸建ての家ばかりでアパートやマンションなんかの設計をしたのを聞いたことがない。 以前に、やはり依頼されてどこかの公民館を設計したらしいけれど、縛りや決まりが多くて二度とやらない、と言っていたのは思い出した。 「大家さん楽しい人だし、何より世梛が住んでいたところです、他の人にやらせたくない」 トクンと胸が小さく踊った。 嬉しくて俯いて口元が緩む、ふと目線を上げると志井良さんと目が合って、ニヤッとされて顔が赤くなってしまう。 「それで、親父さんと建史に仕事をお願いしたいと思いまして」 志井良さんのお祖父さんが建てた共同住宅を、志井良さんとお父さんでまた建て替えるって、なんかすごい! 嬉しい顔を、横に座る一千翔さんに向けた。 志井良さんもお父さんも、それはやっぱり嬉しそうで、妹さんも交えて囲んだ食卓は賑やかでとても楽しかった。 「一千翔さんの実家に、お顔出さなくていいんですか? 」 幼馴染の志井良さんの家は、一千翔さんの実家からはすぐそば、このまま帰ろうとする一千翔さんに訊ねた。 「ああ、いいよ面倒臭い」 車に乗り込みながら笑って言う。 そうか、そんなものか、僕にはよく分からない繋がりみたいなものが、羨ましかった。 帰り道、運転をしながら一千翔さんがまた改まって話し出す。 「なぁ世梛…… 」 「はい」 「…… やっぱり、世梛のお父さんに挨拶、だめか? 」 僕の気持ちを汲んだような言い回し。 返事に困る。 一千翔さんの家や、志井良さんの家みたいなわけにはいかないと思う、一千翔さんに気を遣わせてしまう。 「何がそんなに不安? 」 「…… 不安って、わけじゃ… ないです…… なんて言うか、なんか… 僕は僕、って思って…… 」 自分でも言ってることがよく分からない、一千翔さんにだってわかるはずがないと思った。 「その『僕』と俺は一番近い家族になるんだ、いいですか? って…… 駄目だって言われたって世梛とは家族になるんだけどね」 ふふふっと、進行方向に顔を向けたまま笑った一千翔さん。 一千翔さんにしてみたらそんな風に思うよな、きちんとしたいって思うよな、考えて、考えて…… 僕は返事をした。 「はい、父親に連絡を取ってみます」 丁度赤信号で車が止まった。 僕にしては珍しく、はっきりとした声だった気がする。 一千翔さんが、それは嬉しそうに安心したように、柔らかい微笑みで僕を見た。 「うん、いつでもいいから、いつまでも待ってるから」 焦らなくていい、と言ってもらえたみたいで、とても気持ちが楽になる。 それでも、連絡を取ろうと自分で決めたうちに、行動に移そうと、そう思った。 ✴︎✴︎✴︎ 「…… お父さん? 」 「ああ!世梛か!」 家を出て、僕から父親に電話をしたのは初めてだった。 日曜日の昼間なら、掛けても大丈夫かなと思って掛けた。一千翔さんは、僕が住んでいた共同住宅の建て替えの件で、大家さんに呼ばれて出ていてマンションにはいない。 「元気か? ちゃんとご飯食べてるか? 仕事とか、無理してないか? 」 矢継ぎ早に話す父親に、邪険にしていたことを申し訳なく思い胸が痛んだ。 「うん…… 大丈夫だよ。連絡、しなくてごめんね」 「いいんだよ、そんなこと。元気ならよかった」 本当に嬉しそうに話す父親に、ますます胸が苦しい。 「あ、の…… 」 「ん? なんだ? どうした? 」 気のせいか、父親の声は少し潤んでいるように聞こえた。それほどひどいことをしていたのかと、胸の痛みが自責の念に変わる。 「…… 会って、欲しい人がいる、んだ… 」 「えっ!? 世梛っ!彼女か? そうかっ!そうかっ!」 飛び上がって喜んでいるような父親の声に、言葉を詰まらせた。 『男の人』って言ったら、どう思うだろう、今の今まで喜んでいる父親がどう変わるだろうって、不安になった。 「あの、ね…… 」 言い出せないでいると、電話の向こうで赤ちゃんの泣き声が聞こえる。 「ああ、ごめんごめん、ちょっと待って… 今お母さん出かけててさ、…… 世梛の弟だよ」 弟…… 男の子だったのか、産まれたのって、ぼーっと思った。 「あ、ごめんなに? 」 赤ちゃんの泣き声で遮られた僕の言葉を訊き返す。 一千翔さんに会って欲しいって、言いそびれて言葉を呑んだ。 その時、玄関が開いた音がして一千翔さんが帰ってきたのが分かる。 「また、連絡するね、切るね」 隠れて連絡を取ったつもりじゃないのに、そう言って電話を切った。 「ただいま〜」 満面の笑みで部屋に入ってきた一千翔さんを見て、父親に言えず言葉に詰まってしまった自分が情けない。 こんなにも一千翔さんが好きなのに、どうしてちゃんと言えないんだろうって、自分が情けない。 「どうした?」 一千翔さんが、眉を上げて僕に訊ねる。 「ううん、なんでもないです、お帰りなさい」 思わず一千翔さんの胸の中に飛び込んで、ぎゅっと抱きつくと抱きしめ返してくれて頭の後を優しく撫でる。 「ただいま」 ぐりぐりと一千翔さんの胸に顔を押し当てると、何も知らないはずの一千翔さんが察したように、黙ってただ、ずっと抱きしめ続けてくれる。
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