そして四宮家へ

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「世梛さんと一緒に暮らして、たくさんの幸せを頂いています」 優しく、それでも強い声の一千翔さんに、父親がハッと我に返っている。 「あ…… そ、そうか…… えっと…… 」 「玄関先ではなんですから、中に入っていただいたら? 」 リビングの扉のそばで話しを聞いていたような義母が、少し硬い笑顔を見せ、静かに出てきた。 「久し振りね、世梛くん…… すっかりご無沙汰してしまって、ごめんなさい…… 」 僕は小さく首を振った。 義母が謝ることなんて何もない、勝手にひねくれて実家と疎遠になっていたのは僕、謝るのならば僕の方だ。 「…… ご無沙汰してます」 実家に帰ってきた挨拶じゃない、ふっと一千翔さんと志井良さんの家を思い出してしまう。 「さあ、どうぞ」 僕と一千翔さんを家の中へ招くため手を向けた。 「あなた…… 」 「あ、ああ…… ああ、ど、どうぞ」 「それでは失礼します」 ぬっと僕の後ろから一千翔さんが出てきて、頭を下げると靴を脱いで端に揃えている。 「世梛? お邪魔しよう」 にっこりと笑って、僕にも入るように促す一千翔さんの顔は、とても優しい。 「はい」 一千翔さんに促され、靴を脱いで隣りに同じように揃えて並べた。 「改めまして、音羽一千翔と申します」 リビングに入り、深々とお辞儀をしている一千翔さんの少し後ろで、僕も軽く頭を下げた…… というより俯いたと言った方が正しいかもしれない。 リビングには赤ちゃんの物がいっぱいで、 「散らかってて申し訳ない」 と、片付けきれなかったおもちゃを父親が拾っている。その顔は幸せそうで、僕は心底嬉しかった自分の感情に、とてもホッとした。 部屋の隅にはベビーベッド、赤ちゃんは寝ているようだった。 「お座りください」 父親が照れたように僕達に声を掛け、最初の驚きはかなり和らいでいるように見える。 「失礼します」 また先に動いたのは一千翔さんで、僕がそのあとに続いて座ったはいいけれど、顔を上げられなくて、父親の顔が見れなくて俯いたまま。 何を話せばいいんだろう、僕が何か言わなきゃだよな…… 頭をフル回転させたけれど、何も浮かばない。 いつもならグイグイと行くだろう一千翔さんも、何も言わずに黙っている、僕の手前なのかな? 気を遣っているのかな? いいのに、いつものように一千翔さんペースで事を進めてくれて…… と情けない僕。 キッチンでお茶を入れてくれている義母だって、気まずい空気を感じているんだろう、少し困っているような様子が窺える。 「うぅーうぅー」 その時、聞こえたのは赤ちゃんの声。 起きたようで、 「ちょっと、ごめん」 父親がベビーベッドの側に急いだ。 抱き上げられた赤ちゃんを見て、写真で見た幼い頃の自分によく似ていて、驚くのと嬉しいのとで思わず笑みがこぼれた。 父親が近づいてくるよりも先に、立ち上がって寄ったのは一千翔さんで、赤ちゃんの頬を、顔中綻ばせて人差し指で突いている。 そうか、僕に似てるってことは、二千歩さんにも似てるってことだ。 一千翔さんの柔らかい微笑みが眩しかった。 「世梛に、似てるでしょう? 八ヶ月を過ぎたところです」 父親も嬉しそうな顔、一千翔さんに見せびらかすように赤ちゃんを向けている。 「世央(せお)って名前なんだ、世梛の『世』に、中央の『央』って書く」 え…… 。 僕の名前の一文字が使われていて、キュッと胸が熱くなる。 「世央くん、こんにちは」 ニコニコの一千翔さんに頬を突かれて、世央くんも顔中綻ばせていて、とても可愛い。 「ほら、世梛、きてごらん」 一千翔さんに声を掛けられて僕も傍に寄った。 顔を近づけるとミルクの甘い匂いがする世央くん、僕を見ると更に喜んで足をぴょんぴょん伸ばしている。 「お兄ちゃんだよ」 父親がそう言いながら、僕の方へ抱っこをするようにと世央くんを寄越そうとするから、緊張して両手を横に振った、落としてしまったら大変だもの。 「ほら、お兄ちゃん」 笑いながら世央くんの手を取り、僕に向けて振る一千翔さん。 その、優しい声と温かい笑顔に、僕は涙が出そうになってしまって、喉を詰まらせ顔をくしゃくしゃにした。 「お兄ちゃん、泣き虫だねぇ」 揶揄うように一千翔さんが僕の代わりに世央くんを抱っこをすると、傍であやす。 「な、泣いてなんかないですよっ」 思いっきり目に涙が溜まっているのにそんな強がりを言ってみせると、父親も泣きそうになっているから、堪らずにぽろっと涙がこぼれた。 「お茶、入りましたから…… 」 遠慮がちな声が聞こえて振り向くと、義母もうっすらと涙を浮かべている。 なんでもっと早く実家に帰らなかったんだろうって、そう思ったけど、違う、今だからだ。 今、一千翔さんと一緒だから、僕は目の前のことを素直に受け入れられているんだって分かる。 一千翔さんと一緒だから…… 。 さぁさぁ、と、話しをするため四人ソファーに座ろうとした時、ずっと世央くんを抱いたままの一千翔さんに、思わず笑みがこぼれる。
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