前編

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前編

俺と叔父は血が繋がっていない。 その事実を知ったのは中学生の時だった。 でもそれ以前から叔父のことを他人のように認識していた。 親父と叔父は正反対で、まるで兄弟に見えなかった。 叔父はとても穏やかで上品で、甥の俺にもずっと敬語だった。 誰から見てもいい人、な叔父が少し苦手だった。 人間なんて誰しも心のどこかに毒を隠し持ってると思っていたが、叔父にはその欠片もなかった。 叔父と俺は誕生日が同じなのでよく一緒にお祝いした。 俺が30になった日、叔父は55になった。 俺は叔父に似合いそうなネクタイピンをプレゼントした。 そして叔父は俺にネクタイをくれた。 同じ店で同じようなものを選んだ俺たちは血よりももっと強いもので繋がってると思った。 そう感じたのは初めてではなかった。 世代が違うのに好きな音楽が同じだったり、好きな食べ物が合ったり。 でも俺と叔父はなんとなくいつも5cmくらい離れていた。 それは無意識のような意識をもって。 親父と三人で寿司を食べに行くはずが、親父が急に仕事になり二人きりになった今日までは。 「どうする?」と叔父に聞かれた。 「予約しちゃってるんでしょ。せっかくだから行こうよ。」 「和もさそうか?」 和とは妹のことだ。 「来ないよ。」 そんなに二人が嫌なのかよ、と内心思った。 二人で銀座を歩きながらいつものように他愛もない話をした。 「最近、ジャズバーには行った?」 「いや、忙しくて行けてないな。」 「寿司食べたら行こうよ。新しくできた店行ってみたい。」 「そうだな。」 叔父とはよくジャズのCDやレコードを貸し借りする。 チャットベイカーやマイルス・デイビス、ビル・エヴァンス。 でも二人で聞くことはなかった。 ジャズバーも教えてくれるけど連れてってくれることはなかった。 ジャズバーに向かう道中、叔父が言った。 「お前も30になったんだから、そういうことには女性を誘えばいいのに。」 「あのねぇ、ジャズバーに一緒に行ってくれる女性なんかなかなかいないよ。俺、昔から皆におじいちゃんて呼ばれてるんだから。」 「おじいちゃんか。ジャズが好きだったらおじいちゃんなんてひどいもんだな。」 「それだけじゃない。俺の言うことが古くさいとか、読んでる本とか見てる映画とかそういうの含めておじいちゃんなんだって。」 「まぁ、確かに。憂の選ぶものは俺の世代と妙にマッチングしてるからね。誰に似たんだか。」 「血が繋がってないのにね。」 俺がそう言うと叔父は立ち止まった。 俺が知ってることを知らなかったようだ。 「知ってるよ。詳しくは知らないけど。」 「そうか。知ってたのか。」 「でも驚きはしなかった。叔父さんはやっぱり違うから。」 「何が?」 「なにかが。でもだからこそ俺は、」 俺はずっと惹かれていた。 この人の一部になりたいと思っていた。 意識のなかに入り込みたいと思っていた。 「血なんが繋がってなくてもお前は俺の甥だよ。これからも。」 「そう?ほんとにそう思ってる?」 俺はとっさに叔父の腕を掴んだ。 「憂、離しなさい。」 「離したら終わりなんでしょ。」 また5cm、いやもっと離れることになるかもしれない。 「終わりってなにも始まってないだろう?」 「そうだね。あなたが始まらないようにいつも俺から離れてたから。」 気付いてないと思ってたんだろう。 でも俺はとっくに気付いてた。 「俺はお前を不幸にしたくないだけだよ。」 「そうやってカッコつけて誰にでもいい人でいることになんの意味があるの?」 「お前にはわからない。」 「わからないよ。頼むから、少しは悪者になってよ。」 叔父は俺を睨んだ。 でも俺は怯まなかった。 「なんでそんなに俺に似てるんだよ。血も繋がってないのに。」 叔父はそう言うと俺にキスをした。 俺たちはジャズバーには行かず叔父の家に行き、一晩中抱き合った。 朝目覚めたら叔父がいなくなってるんじゃないかと心配で寝ないようにしてたのに気が付くと深い眠りに落ちていた。 幸い叔父は目覚めた俺のそばにいてくれた。 「おはよう。」 そう言うと穏やかな顔で微笑んだ。 俺がずっと見たかった顔だ。 気付くと俺は涙を大量に流していた。 拭っても拭っても身体の底から溢れるように止まらなかった。 叔父はなにも言わずタオルを差し出して頭を撫でた。 朝食を食べながら叔父はポツリポツリと話し出した。 養子にきた日のこと。 俺と初めて会った時のこと。 兄である親父が嫌いだったこと。 そして。 「憂を甥として見たことは一度もなかったよ。でもそうだな、いつからとは分からないけど少しずつお前は特別になった。」 「俺は明確に覚えてるよ。25の誕生日、レコードをくれたでしょ?あのレコードを聞いてるときハッキリしたんだ。俺と叔父さんは同じなんだって。」 「ビル・エヴァンスのtwo lonely peopleだろ?」 「そう!なんで分かったの?」 「同じだからだよ。」 「そうだね。俺も叔父さんも孤独だった。何となく世界からいつもはみ出てるような。でもそれを隠すために人の中に紛れて笑ってた。いい人でいようとした。」 「分かってたんだ。お前なら俺を理解してくれる。でも、近づかないようにした。」 「寂しかったよ、ずっと。」 「俺だって。」 「ごめんね、甥に産まれて。」 「ごめんな、叔父になって。」 俺たちはお互いに謝り合ってキスをした。 俺はめんどくさいことを顧みず、全てを両親と妹に告げた。 親父は怒って、母親は呆然とし、妹はどうでもよさそうだった。 「もう30だし、自分のことは自分で選ぶし、何があっても責任は取るよ。それでも俺を切り捨てたいならいつでも切り捨てていい。覚悟はとっくにできてた。」 と言いきると、誰もなにも言い返さなかった。 俺は叔父と一緒に暮らし、今までの時間を取り戻した。 「なんて呼べばいい?」 「え?」 「叔父さん、てのはもう違うでしょ?」 「そうだな。好きに呼べばいいよ。」 「湊介?」 「...なんか今」 「え?なに?」 「胸がいたくなった。」 「心臓悪いんじゃない?大丈夫?」 「違うよ。これはお前が俺の中に入ってきたからだよ。」 「湊介、これからは一人じゃないよ。」 俺は何度だって出会うだろう。 この愛しい人と。 例えまた離れても。
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