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ねえ「空想さん」ってアプリ知ってる? あー、初めて聞いたって顔だ。
茉莉って流行とかあんまり気にしないタイプだもんね。まあ、アタシがそばに居るうちはそれでいいかもしんないけど、アタシだっていつまでも茉莉の面倒見てられるわけじゃないし、ファッションとかメイクとか、ちゃんと自分で情報キャッチしといた方がいいと思うよ?
それで、なんだっけ。ああ、そうそう、アプリの話。最近流行ってるんだって。
あのね、そのアプリの中は日記みたいなやつなの。もうほとんどメモ帳みたいな感じ。けどそこに書くのは日記じゃなくて、空想したことをアプリに入力するんだ。そしたら、その内容から書いた人の深層心理を読み解いて、夜に理想の夢を見られるんだって!
なんでも、深層心理の解析には心理学者が開発した最新のAIが使われてるらしいよ。
あー、茉莉のその目。疑ってるでしょ。ほんとだって!
なんか、可聴域外の音波? 電波? かなんかを出して、夢に作用するらしいよ。
まだ疑ってる? 私の話は信用できない的なやつ?
この前私が「二組の藤野くん、茉莉のこと好きらしいよ」って言ったのは確かにさ、ちょっと話を盛ったっていうか、良くない冗談だったけど、それは茉莉にもっと自分磨き頑張って欲しくて発破かけたみたいな感じじゃん。その時のことまだ怒ってるの? ごめんって。
それで、今度は本当のほんと。空想さんが理想の夢をくれるんだよ。
茉莉も絶対やった方がいいから。てか茉莉がやってみてもし良かったらアタシもやろっかなーって思ってて。
ほらほら、スマホ出して。
○
橙子がそのアプリの話を始めたのは、放課後、ほとんどのクラスメイトが部活に行ったり帰宅したりと姿を消した頃だった。
橙子が帰りのバスを逃したので、自転車通学で時間に制約がない私が次のバスの時間まで付き合っているってだけなのだけれど、人が居なくなった後の教室はなんだかやたらとよそよそしい感じがして、理由もなく居残っているのが悪いことをしているみたいに思えてくる。
そのアプリの話に、私はそこまで乗り気にならなかった。無料のアプリに最近のAIが使われてるなんて、誰が聞いたって眉唾ものだし。
しかし橙子がこういうことを言い出す時は提案というよりも、彼女の中ですでに決定事項になっている場合が多い。だからここで私が「あんま興味ないなあ」とか「橙子が先にやってみたら?」とか言ったところで、良くて「えーやだぁ」と笑い飛ばされるか、なんなら露骨にムッとされる未来が見える。
というわけで、結局私は橙子のいうことを聞くことになる。アプリをダウンロードすると、シンプルな水色のアイコンが現れた。橙子も興味深々で画面を覗き込む。
「へえ、無駄にオシャレだね。『KUSO』だって」
「ホントにこんなの流行ってるの?」
「わかんない。アタシも噂で聞いただけだもん」そう言って橙子はニヤリと笑って視線を上げた。
「もうダウンロード終わったからバラしちゃうけどさ。それさあ、オカルト系のサイトで記事になってたんだよね。『夢から帰ってこれなくなるアプリ』って」
「ええっ、何それ」
思わず悲鳴を上げた私を見て、橙子は愉快そうに笑った。
「やだ本気にしないでよ。どうせガセネタだから」
「もし私が夢から帰って来なかったら、責任持って橙子が助けに来てよ」
「行けたら行く」
「来ないやつじゃん」
空想さんを起動させると、明け方の空のような澄んだ水色の背景にプロフィールの設定項目がびっしり並んでいた。睡眠時間や食事の傾向、心理テストみたいな質問まである。項目のあまりの多さに、最新のAIを使って解析……というのもあながち嘘ではないのかも、と思ってしまう。
ちょっとだけ、興味が湧いた。
入力が半分も進まないうちに、橙子のバスの時間が来たので中断することになった。「良い夢見たか明日教えてねー!」と元気に手を振る橙子に、私は苦笑いするしかなかった。
その夜、ベッドに寝転がって書きかけの項目を埋めていく。
明日、アプリを使わなかったって言った時の橙子の文句を回避するため、という気持ちと、夢を好きにデザインできるというのが本当だったら面白そう、という興味が半々くらい。
『好きな食べ物は?』うーん、チーズケーキ、とか?
『休日に行くなら海? 山?』休日は家でゆっくりしたい。
『生まれ変わるなら何の動物がいい?』猫。理由はないけど。
黙々と入力する。小学生の頃、学級新聞の係になってこんな感じのアンケートを作ってクラスに回してたなあ、なんて懐かしくなっていた時だった。
次に画面に現れた質問に、心臓がどきんと跳ねた。
『殺したい人はいる?』
殺したい人?
……いないよ、そんなの。
よし、質問は全部答えた。
すると、メイン画面に切り替わった。
“最新のAIが、あなたの深層心理を具現化します”
テキスト入力用のシンプルな枠と、飾り気のない説明文。
『空想を書いて、夢を生成してみてね☆』
本当に願った通りの夢を見られるのかな、それなら面白いけど。
さて、どうしようか。
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