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心の鎧
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私が生まれたのは、この日本から遠く離れた英国のロンドンという所です。
西暦1903年……和暦で言うほうが分かりやすいでしょうか?
明治36年生まれです。今年は大正8年(1919年)ですから、来月の5月15日で満16歳になります。
名前は少し長いのですが、『撫子 エミリー マーティン 一井』と申します。
なぜこんな長い名前なのかというと、私は日本人のお父様・一井 藤宗と、英国人のお母様・アメリア マーティンの間に生まれた混血児(※ハーフ)です。
お父様が、日本から英国へ滞在していた時に、私のお母様と出会い、私を授かりました。
どうしても私を日本に連れて帰りたいと、私がお母様のお腹にいる間に、日本人であるお父様が認知をしたため、日本国籍も取得できたそうです。
国籍について少し説明しますと、
『血統主義』である日本は、他国で生まれても親が日本国籍であれば、子どもにも日本の国籍が与えられます。
そして私が出生した地、英国は『生地主義』。
親の国籍を問わず、英国で生まれれば英国籍を与えられます。
日本人のお父様が、私が胎児の間に認知をして、生まれたので日本国籍を持ち、かつ、英国で生まれたので私は英国籍も持ち、それぞれの国の名前をつけたので、こんな名前になりました。
今は二重に国籍を持っていることになるので、今後20歳までにどちらかの国籍を選ばなければならないそうです。
私は、届出はまだ出していませんが、日本を選ぼうかと思っています。
お父様に連れられて、お母様と一緒に日本に来たのは、私がようやくよちよちと一人で歩けるようになった頃らしく、英国のことは全く覚えておりません。
勘当されるようにして、日本に来たお母様は、英国に帰ることもできず、それ以来ずっと日本で暮らしています。
時々来るお父様が頼りの生活です。
私、今は東京女子高等師範学校(※学校の先生になるための学校)に通っていて、将来は自立した女性として生きていくつもりです。
今更、文化の違う国に行くのも大変ですし、お母様と一緒に、日本でこのままずっと暮らしていたいと思っています。
そんなささやかな願いを、引き裂くような、ある『お約束』が、私たち母子にはあるのですが……。
まぁ、それはともかく。
私が名前を聞かれると、ややこしい国籍の話になって、皆様「聞かなきゃよかった」というような困った顔や、気まずそうな表情をされます。
そんな顔をされれば、私も「言わなきゃよかった」と思います。
英国の名前は目立つので、日本の名前だけ『一井 撫子』と学校でも名乗っているのですが……それはそれでビックリされたり、嘲笑されたりします。
なぜなら、日本人であるお父様に似ればよかったのに、私はお母様の血を色濃く引いたようで、まぶしいくらいに光る金髪頭に、お母様の深い青さの目の色よりも、もっと淡い青い目をしております。
そんな見た目なのに、『大和撫子』の『撫子』です。自分でも滑稽だと思っています。
真っ黒な髪と目の色を持つ日本人ばかりの中で、私の姿はとても目立ちます。
尋常小学校(※小学校のこと)の時、低学年の頃は男子と教室が同じでしたので、よく『西洋のバケモノ』とからかわれました。
女子も初めはかばってくれる子もいたのですが、親御さんから私とは話してはいけないと叱られたといって、そのうち遠巻きに見るだけで、誰も助けてくれなくなりました。
お母様に話しても、
「You're so cute!(あなたはとても可愛い) ナデシコカワイイ」
と片言の日本語に、英語交じりで言うばかりであまり取り合ってくれません。
私は、これは一人でなんとか乗り切らなければならないと、幼心に悟り、どんどん心に鎧をつけるようになっていきました。
その鎧は、目には見えない刃から心を守ります。
私は、人から心を傷つけられるのが怖くて、初めからあまり関わらないようにしています。
友人もいません。もちろん恋人なんていませんし、要りません。
どなたも私を気にかける方なんておりませんし、むしろ、友人も恋人もいない方が、気楽でいいと思っています。
ちょっとやそっとの陰口は、もう何にも感じません。
完全に心を武装した私が、お友達と呼べるのは1頭だけ。
去年の誕生日にお父様が下さった、駿馬(※足の速い優れた馬)の『ペガソス』です。
……ペガソスの可愛さをちょっと自慢してもいいでしょうか?聞いてくださいます?
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